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2025年10月11日 箴言1章

  • hccnichigo
  • 10月11日
  • 読了時間: 3分

 箴言1章2節に「これは、知恵と訓戒を知り、悟りのことばを理解するため、」とあります。ここではまず、知恵と訓戒を学び、義とさばきと正しさに歩むために箴言が与えられたことが語られています。4節5節に、若い人にも、すでに経験を積んだ人にも、この知恵の言葉は成長をもたらすとあります。そして、その土台にあるのは「主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」(7節)


 神さまを畏れ敬う心こそ、知恵の出発点であり、神さまの前に謙遜であるかどうかが人生の分かれ道となるということでしょうか。


 続いて、親の教えを守り、悪い仲間に誘われてもついて行かないようにと言ってます。「一緒にやれば得になる」と甘いことばで誘われる場面は、この時代だけでなく、現代にも多く存在しているように思いました。例えば「簡単に儲かる」「今だけのチャンス」といった言葉は、いろいろなところで目にしますし、耳にも入ってきます。耳ざわりは良くても、やがて自分を滅ぼす道につながってしまいますよと、そのような安易な誘いに心を奪われないようにと教えています。これは、耳が痛いですね。私自身も「一つ買えばもう一つついてくる」といった広告にひかれて、つい必要以上のものを買ってしまうことがあります。(笑)


 また、この章の後半(20.21節)では、知恵がまるで人のように町の広場で声をあげて呼びかけている姿が描かれています。しかし多くの人はその声を無視し、自分の思いに従って歩み続けます。その結果、災いが襲うときに助けを求めても、知恵は答えないと警告されます(24–28節)。それは神さまが冷たいからではなく、神さまの呼びかけを無視し続けているうちに、私たちの心が聴く耳を持たなくなるからです。


「しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住み、わざわいを恐れることなく、安らかである」(33節)


 それでも、知恵の声に耳を傾け、神さまの導きに従う人には、安心して生きる平安が与えられると約束してもらえるのです。

 せっかく約束してくださっているのですから、私は、日々の生活の中で知恵の呼びかけに応える歩みを選びたいと思います。忙しさや自分の考えにとらわれて神さまの声を無視するのではなく、祈りをもって立ち止まり、「これは神さまに喜ばれることだろうか」と問いかけながら選択をしていきたいと思いました。



愛する天のお父さま 「主を恐れることは知識の初めである」と教えてくださり感謝します。どうか私を導き、目先の利益や安易な誘いに惑わされず、あなたの喜ばれる道を選ぶ者としてください。聖書や祈り、人を通して語られるあなたの声にも敏感であり、「安全に住み、わざわいを恐れることなく、安らかである」という平安をもって今日を歩めますように。

 主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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