2025年10月10日 Ⅱテサロニケ人への手紙 3章
- hccnichigo
- 10月10日
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本日の三章では、不安と安心感を同時に覚えた。
2節「また、私たちが、ひねくれた悪人どもから救い出されるように祈って下さい。すべての人に信仰があるわけではないからです。」
3節「しかし、主は真実な方です。あなたがたを強くし、悪い者から守って下さいます。」
パウロは迫害の中にあっても神を信じイエス様の福音を伝える者の一人だ。御言葉を伝えるものたちが、守られるように祈っている。
3節の「あなたがたを強くし」であるが、私が受け取った意味は試練にあい、その度に強くなり、そうやって神様が強めて下さり、悪い者から守って下さる、ということである。だから、「いつも喜んでいなさい。」に繋がり、とても安心感を覚える句である。
さて、「祈り」とはなんだろう。パウロは2節で「祈って下さい。」と懇願している。
私は、洗礼を受けたばかりの頃 大先輩の兄弟が、「神様は、全ての祈りを聞いている。だから、なんでもお願いしたらいいよ。それが、御心ならばかならず成るから。」とさらっと答えてくれた。思えば、いつも自分は、お願いの祈りをしていたと思う。なんと自分勝手だったんだろう、と申し訳なささと不安を覚えた。神様の御心なのかどうかをよく考えていなかった。
つい二日前の朝、私は自分の名前を呼ばれて、目が覚めました。誰も実際には私の名を呼んでいないのだが、確かに聞こえ、“Yes“と答え目をあけた。これは2度目の体験である。今思えば、あの力強くも優しい声はイエス様だったと確信する。
「(略)、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)
祈り:愛する天の父なる神様、
私たちは、いつでもどこでも祈ることができることに、感謝です。また祈らない、という自由も与えて下さっています。イエス様がそうしたように、そしてイエス様に愛された弟子のパウロがそうしたように、あなたと人格的に深いつながりを持ち祈ることができますように。一人一人の名が既に、天に書き記されています。どうぞ、私の名を毎日呼んでください。共にいて下さり、感謝します。主イエス・キリストの御名により、人類全てが救われますよう 祈ります。アーメン
文:マッカーター政子

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