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2025年1月23日 ネヘミヤ記12章

  • hccnichigo
  • 1月23日
  • 読了時間: 2分

 ネヘミヤ記12章は、バビロン捕囚から帰還した祭司とレビ人のリストとエルサレムの城壁の奉献式について記されています。


 「エルサレムの城壁の奉献式に際して、彼らはあらゆる場所からレビ人を探し出してエルサレムに連れて来た。」―27節(抜粋)― 

 

 これは、捕囚期、また帰還後も長い間(150年間)神殿礼拝はおこなれなかったのです。神殿祭儀を執り行うレビ人も生活のために農業に執り行なっていたことだと言われています。彼らが本来の役割を果たせるように呼び集められたことは、神殿を中心にした礼拝体制(同時に国家体制)の再建を意味したといわれています。彼らは忍耐をもって待ち続けていたことでしょう。ただひたすらに神を信じ、委ねて、祈ってきたことだと思います。私たちがそのような境遇にであったときに一番になにをすべきかを示された思いです。


 城壁の完成までにいろんなことがありました。妨害、嘲り、脅し、等々。でも、彼らは決してそのような誘惑に臆せずに勇敢に耐えることができました。彼らは、神が共にいてくださると信じていたからできたのです。そして、多くの人が城壁の上で賛美しました。その喜びの声は遠くまで響きました。また、数多くのいけにえを献げて喜びました。なぜなら、43節で「神が彼らをおおいに喜ばせてくださったからである。」と語られているからです。


 解説者によりますと、イスラエルの歴史において、城壁の奉献式が行われたのはこの時が初めてだといわれています。とても珍しいイベントです。人々が、城壁の上に上り、二つの大きな聖歌隊が組織されて、しかもそれぞれが左右の別ルートで行進して、神殿の東門へと至って神殿に入るというものです。その日には、数多くのいけにえがささげられ、賛美がなされました。城壁の上で賛美するということは実に感慨深いものだったと思います。


 ある教会員の方々がグランドキャニオンに行った時に、朝日が昇った時にみんなで賛美をされたそうです。感動して全員が涙を流されたということです。いつの日か、私たちも教会員の皆様と一緒にイスラエルの聖地旅行に行って、主イエスのことを思いながら賛美したいと思わされました。



 愛する天の父よ。今日の御言葉を心から感謝します。

主のために、すべてを喜んで成し遂げることができますように、又、同じように隣人にもできますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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