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2022年7月29日 ディボーション

エレミヤ書3章 

 

「主に立ち返れ」

 

 この3章においては、神とイスラエルとの関係が婚姻関係で表現されている。イスラエルの偶像礼拝は、婚姻関係における姦淫の罪とみなされる。

 この霊的姦淫の罪のある社会には、必ず実際の姦淫の罪があり、それに伴う夫婦関係の破綻、家族崩壊が見られる。なぜなら神との関係は、人間関係に直接に影響を与えているからだ。まさに現代社会のあり様である。

 

 エレミヤは南ユダ王国を舞台に活動した預言者であったが、南ユダ王国がバビロン帝国によって滅ぼされる前に、先に北イスラエル王国がアッシリア帝国によって滅ぼされている。南ユダ王国の民は、その出来事を見ているのにも関わらず、それでもなお霊的姦淫を犯し続け神に立ち返ることをしなかった。

「あなたは、背信の女イスラエルが行ったことを見たか。――― 背信の女イスラエルが姦通したので、わたしは離縁状を渡して追い出した。しかし、裏切る女、妹のユダが恐れもせず、自分も行って淫行を行ったのをわたしは見た。」(3章6節~8節抜粋)

 

 しかし神は、そのユダの民に対して「背信の子らよ、立ち返れ。」(14)。「背信の子らよ、立ち返れ。わたしがあなたがたの背信を癒そう。」(22)と、神に立ち返ることを求め、呼びかけるのだ。

 神は、何度も何度も裏切られても、その民に対する愛は変わることはない。神は、愛そのものだから。だからこそ、神は痛むのだ。愛する相手が姦淫を犯して離れて行く時、平気でいられるはずはない。その心は痛みにわななくのだ。「それゆえ、わたしのはらわたは、彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。」(31:20抜粋)この「わななき」とは、えぐられる痛みを現わしている。神は、はらわたがえぐられるほどの痛みを感じておられるのだ。

 その痛みの深さが、神の愛の深さだ。そしてその痛みの極致こそ、イエスの十字架の痛みなのだ。神の愛は、どこまでも深く、広く、長く、高い。私は、この神の愛にただただ圧倒される。

 

 そしてこの神のことばに呼応するようにして22節から25節にエレミヤのことばが記されている。「今、私たちはあなたのもとに参ります。あなたこそ、私たちの神、主だからです。」(22抜粋)

 「立ち返れ」という神の呼びかけに対して、「あなたのもとに参ります。」と応える私たちでありたい。

 私たちが立ち返る神は、私たちの「背信を癒そう」と言ってくださるお方なのだ。このお方のもとへ大胆に、立ち返る者でありたい。

 天の父なる神さま。

 あなたのあまりの愛の深さに、ただただ圧倒されます。この愛のゆえに、私たちは、あなたに立ち返る事が出来ることを感謝します。 

 願わくば、私たちが二度と霊的姦淫を犯すことなく、全身全霊であなたを愛する者であり続けることができますように。聖霊が私たちを助け導いてください。 

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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