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2022年7月27日 ディボーション

  • hccnichigo
  • 2022年7月27日
  • 読了時間: 3分

エレミヤ書 1章


『恐れるエレミヤにご自分のことばと励ましをあたえられる神』


 今日からエレミヤ書がスタートする。エレミヤは、心が繊細な涙もろい人といわれたのでそこから涙の預言者と言われたそうだ。イザヤは、北王国がアッシリア帝国に滅ぼされた頃に活躍していたが、エレミヤは、南王国がバビロニヤ帝国に滅ぼされる前後に働いたと言われている。


主のことばがエレミヤにあった時の、主とエレミヤの応答である。エレミヤを預言者として定められたが、エレミヤは自分は若年者で語りかたも分からないと拒否しようとする。でも、神は、エレミヤを生まれる前から預言者として定めておられたのである。そして、彼を勇気づけられて、ご自分の御手を伸ばし、エレミヤの口に触れられて、ご自分のことばを彼の口にあたえられたのである。

 そこを読んでいて、出エジプト記の神とモーセの語りが浮かんできた。モーセも神の命令でファラオの前で杖をつかっていろんな奇跡を起こして対抗せよと命令されたけれど、モーセは、自分は口が重く、舌が重いと拒むのである。主は、その時モーセの口には触れられなかったけど、みことばでかれを諭したのである。

人に口をつけたのはだれか。だれが口をきけなくし、耳をふさぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、わたし、主ではないか。」出エジプト記 4:11

今、行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える。」4:12

 と語ってくださっておられるのに、モーセはしつこく、「どうかほかの人を遣わしてください。」と拒むのである。もしこのことが自分に起こっていたら、恐れが先にきて、神の語りを二の次にして拒むことだろう。だが、神は、私たちの心の中身をよくご存知である。神は、エレミヤにご自分のことばをあたえられて、モーセも兄の助け人があたえられたのである。神の命令は、神のみこころであるのでそれを優先にして委ねて、従っていけば、必ず道を開いてくださるのである。


 主のことばが7回も述べられている。エレミヤが目にしているもの、アーモンドの枝と煮え立った釜をとおしてこれから起ころうとしていることを語られている。アーモンドの枝というのはヘブル語で、「見張る」ということを意味している。神は、イスラエルの民を見張っていて北からバビロニヤ帝国を送って、イスラエルの民が偶像を崇拝している悪のために彼らをさばかれるという預言をされているのである。この預言を王や指導者に語れと命じられているのである。預言者というのは神が命じられたことを、たとえそれが人智をはるかに超えたことであっても語らなければならないのである。神から命令されたエレミヤがどういうふうにして神のことばを宣べ伝えていったのか、やはりこのような過酷なことを伝える時に涙を流して語らずにはおられなかったのだろうと思わされた。



祈り

愛する天の父よ。

今日のみことばを感謝します。あなたのみこころが何であるのかを、知ることができますように導いてください。すべてをお委ねして、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。

アーメン



 
 
 

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