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2022年4月6日 ディボーション

雅歌 8章 Song of Solomon 8


「わたしをあなたの心に印のようにし、あなたの腕に印のようにしてください。愛は死のように強く、ねたみはシェオール(陰府:よみ)のように残酷だからです。そのきらめきは火のきらめき、エホバの炎です。」(6節、回復訳)

「Set me as a seal upon thy heart, As a seal upon thine arm: For love is strong as death; jealousy is cruel as Sheol; The flashes thereof are flashes of fire, A very flame of Jehovah. 」(ASV:American Standard Version)


 アメリカに来て全く使わなくなったものがある。それは印鑑。印鑑は勝手に悪用される可能性があるから、アメリカは直筆のサインが信用され一般的に用いられている。大きな買い物をする友人の書類作成の承認をする時には、友人、書類作成専門スタッフ、そして私の3人でそれぞれが読み合わせをしてサインをした。そのくらい自分が承認するという事は今も昔も大きな事なのだ。印鑑は当時でも大切な物とされ、いつもネックレスみたいに、袋に入れて首から下げていたらしい。のちに、それが指輪の形をした印鑑に発展する。聖書の中でも度々、印鑑、指輪の記述が登場する。

 この6節で2つの事を示された。一つは大胆に主に告白すること。そして、私は主に自分が訴えた如く、主を愛しているのか?と言う事。

 語り部が私で、相手がイエス様だとしたら、かなりストレートな告白だ。あなたの心の中を私で満たしてくださいと言っている。私は恐れ多くて、私を第一優先にして下さいなんて言えない。こんなに大胆に神様に打ち明けて良いのだ。アメリカに住んで15年になるが、まだまだこの登場人物のように大胆に言えない自分がいる。

 人の世で「私を第一優先にして欲しい」と言われてそれを叶えることができず、相手を傷つける羽目になった事があった。人それぞれの尺度がある。自分が最善を尽くしていたとしても、相手にとってそれが最善でなければ不満になる。つくづく人間は恐ろしいと思った。なぜなら人の愛の裏返しは妬み、嫉み、そして最後に恨みへと変わっていく。よくソープオペラの題材になるくらいだ。

 それでは主を愛するとはどう言うことか。それは主の教えを守り実践する事であり、聖書ではこう述べられている。

「イエスは彼に言われた。『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。」(マタイ22:37~39)


 自己中心的な考え方で相手を傷つけるような事件が増えているのは本当の愛から離れているからだろう。私の心を満たしてくれるのは主の愛だけだから。

 先日の説教でも罪の話があった。主が私に愛を注いでくださっている事を知らず、他の事、物、人に愛を求めていた、洗礼前の罪がある(ハマルティア)。そして父なる神とイエス様を信仰によって全知全能の神であると信じても罪を犯す私。そんな私を改心の道に導いてくだだる父なる主がいる。聖霊様によって、間違った方向を見ていた私の心が正しい、主のご計画の道へと導かれる事、罪の悔い改めの事をメタノイアと言うらしい。このような事を知る事ができる幸いを感謝したい。主の宮の最小単位である自分、そして次に大きな家族と言う主の宮をイエス様が弟子の足を洗ったごとく愛していけるよう聖霊様に祈りたい。


【祈り】

「しかし、私は主にあって喜び踊り、わが救いの神にあって楽しもう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高いところを歩ませる。」(ハバクク書3:18~19)


ハレルヤ。

 主の御名を賛美いたします。父なる神、そしてイエス様の愛のゆえに、今日も生かされていることに感謝いたします。

 世の憂いは常に私たちの周りにあります。拒みたいのですが、人の世に生きる私には避けては通れない時もあります。しかし、ハバククのように、困難な日々であったとしても、主を賛美すると言う事を選び取る信仰の目、耳、そして心を私に与えてください。そして祭壇の火が消えることの無いように、祭司たちが毎日火を整えたように、私の信仰の火も主の御言葉を聴くことを通して、どうぞ整えてください。


 今日も心の平安を与えて頂ける幸いに感謝して、この祈りと賛美をイエス様のお名前と共に御前にお捧げいたします。アーメン。




【賛美】両手いっぱいの愛 作詞・作曲:佐々木泉 演奏:Ríversìde Praíse



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