top of page

2022年4月3日 ディボーション

  • hccnichigo
  • 2022年4月3日
  • 読了時間: 2分

雅歌5章


 花嫁と花婿の三日目の出来事である。雅歌の5章から自分に示された事は、主が私の心の扉をたたかれておられるのに自分の都合で心の扉を閉ざしてしまう愚かなことが多々にあることだ。「喉元過ぎれば熱さを忘れる。」という、日本のことわざにあるように、自分の信仰生活を改めて見直す機会を指摘される。主が私の心の扉をたたいて下さっておられるのに、この私は、いとも簡単に自分中心になり心の扉を閉ざしてしまうのだ。クリスチャンになって心では解っていることが、時には体が素直に応じない時があるということである。そして、たくさんの試練を体験することになるのだ。でも、神様は私が心の扉を開かなかった為に去って行かれたとしても、私を決して見捨てたりはされない。神様は、私達をもっと神に近づかせる為にご自身を隠される時があるのだということを、ずっと以前に関牧師が語っておられたことが脳裏に蘇ってきた。


 私は眠っていましたが、心は目覚めていました。すると声がしました。私の愛する方が戸をたたいています。「わが妹、わが愛する者よ。私の鳩よ。汚れのないひとよ。戸を開けておくれ。私の頭は露にぬれ、髪の毛も夜のしずくでぬれているので。」 2節 一部抜粋


 花嫁は心は目覚めていても体は眠っていたのだ。すぐには、立ち上がれなかったのだ。雅歌の2章の10節でも花婿は花嫁に呼びかけている。「わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。」その時にもすぐには出て行かなかったけれど、後で自分の失敗にきずいて花婿をさがして共に実家で時を過ごすことができた。だが、そういう失敗をしてきたのに、又もや同じ失敗をしてしまうのは私達人間の本来の姿であろう。


「見よ。わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」黙示録 3章20節


 主が私達の心の扉をたたかれた時に、主を招き入れることができたら私達は共に主の恵みに与らせていただけるのである。主は、私達が心の扉を開けてくれるまで忍耐をもって扉をたたいてくださるのである。私達の心の扉を開いて主を招きいれることができるようになりたいものでありたい。


祈り

愛する天の父なる神様。

あなたの尊い御名をこころから感謝します。今日も御言葉によって自分に語られたことを感謝します。あなたが、私の心の扉をたたかれる音に聞き従って、あなたを、私の心の扉の戸を開けて招くことができますように導いてください。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。 アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年11月30日 雅歌8章

「封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押印してください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」6節  強い夫婦の愛が描かれています。これほどの献身さがあると夫婦の愛、結婚愛は壊れないのではないかと思います。同時に私たちも神との霊的な関係がこのように強くあれば決して信仰が揺るがされることはないということにつながっていきます。

 
 
 
2025年11月29日 雅歌第7章

ああ、人を喜ばせる愛よ。あなたはなんと美しく、麗しいことよ。(6)  花婿の花嫁に対する愛は1章から一貫してずっと変わらず、熱烈な愛を語っている。花嫁は最初の頃は、花婿から愛の言葉を受けながらも自分の外見を気にしていたり、自分も花婿への愛を表現していても、自分の都合で花婿を拒んで、その後慌てて探し回ってみたりと、愛に対して受け身で、不安定な印象だった。  そんな花嫁に、それでも花婿は花嫁の愛は、美

 
 
 
2025年11月28日 雅歌6章

先の5章の終わり辺りで、花嫁が花婿を突然見失った時、エルサレムの娘たちが「あなたの愛する方は、ほかの愛人より何がすぐれているのですか。」(5:9)と花嫁に質問をします。それに対して花嫁は、花婿がどんなに素晴らしい方であるかと褒めたたえ、はっきりと「これが私の愛する方、これが私の連れ合いです。」(5:16)と答えます。  さて6章はその続きです。最初花嫁がなぜそんなに必死になって花婿を捜すのか理解で

 
 
 

コメント


bottom of page