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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「神のことばに付け足しをしてはならない。

 神があなたを責めて、

 あなたが偽り者とされないために。」6節


 聖書(旧約、新約合わせて66巻)は、すべて神の真理のみことばです。それは私たちに向けられている神からのメッセージです。その神のことばに付け足すこと、取り除くことは誰もできません。なぜなら、そのようなことをする者には神の試練があるからです。申命記4:2,ヨハネの黙示録22:18~19にも述べられています。


「私があなたがたに命じることばに付け加えてはならない。

 また減らしてはならない。」申命記4:2


「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者に証しする。

 もし、だれかがこれに付け加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災 害を加えられる。」ヨハネの黙示録22:18 


「また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。」ヨハネの黙示録22:19


 神のことばに付け足すことや、取り除くことは、神を変えようとする傲慢な思いになることだと言われています。自分の意思を優先にして神を二の次にしてしまうことになるということでしょうか。神のことば、特に箴言は、時には私たちにとって厳しいことばが語られています。それでも、神のことばに従順になっていくことが、神のことばに付け足したり、取り除くという誘惑に陥らないことにつながっていくことではないでしょうか。



 天の父なる神さま。あなたが私たちに与えてくださった聖書は真理のみことばです。あなたのみことばから外れて迷っている時が多々になる時があります。そのような時には、私たちの足をどうぞ義なる道へと導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 

 この箴言29章を読むとき、私は「感情をどう扱うか」ということを考えさせられます。


「愚かな者は感情のすべてをぶちまけ、知恵のある人はそれを内に収める。」(11)

 

 私は、思ったことを素直に言葉にしてしまうところがあります。悪気があるわけではなく、ただ正直に感じたことを伝えたいだけなのですが、その言葉が思わぬ誤解を生んでしまうことがあります。

 一方で、怒りや悲しみのような強い感情が湧くと、言葉にすることができず、心の中にしまい込んでしまい、それが積もると、態度や表情に出てしまうことがあります。


 あるとき、母の介護の中で疲れや焦りが重なり、思い通りに進まないことが続きました。心の中では「どうしてわかってもらえないんだろう」という思いが何度も浮かびましたが、その気持ちを言葉にできず、黙って片付けを続けていました。

 その夜、ディボーションを書こうと思い、その箇所が29章で、この11節の言葉が心に響きました。


「知恵のある人はそれを内に収める。」 この“収める”という言葉は、ただ我慢することではなく、神さまの前に自分の感情を差し出すという意味なのだと感じました。

 私は、「神さま、この心をあなたに委ねます」と祈ってみました。すると、張りつめていた心が少しずつやわらいでいくのを感じました。


 知恵とは、感情を押し殺すことではなく、その感情を主のもとに持っていくことなのだと気づかせてもらいました。怒りも悲しみも主の前に差し出すとき、聖霊が心を整え、正しい方向に導いてくださるのです。


 ある日の礼拝メッセージのなかで、「自分の力ではなく、聖霊に頼り、御言葉に耳を傾け、へりくだって従うこと」と語られましたが、これこそが本当の知恵の道なのだと思いました。感情をどう扱えばよいのか分からない時こそ、御言葉を通して「主は今、何を語られているのだろう」と耳を傾け、聖霊の導きを求めたいと思います。


愛する天のお父さま

 私は思ったことを素直に言葉にしてしまうことがあります。けれど怒りや悲しみが心にあるときは、うまく言葉にできず、黙りこんでしまうこともあります。 どうか聖霊さま、私の心を静め、感情をあなたにゆだね、 御言葉によって平安と知恵を与えてください。

 感情に流されず、主の導きを見上げて歩む者とならせてください。


 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


 

「悪しき者は、追う者もいないのに逃げるが、正しい人は若獅子のように頼もしい(1)。

 悪人はさばきをわきまえない。主を尋ね求める者はすべてのことをわきまえる(5)。

 貧しくて、誠実に歩む者は、富んでいて、曲がった道を歩む者にまさる(6)。

 耳を背けておしえを聞かない者は、その祈りさえ忌み嫌われる(9)。

 正しい人が喜ぶと、大いなる栄えがあり、悪しき者が立ち上がると、人は身を潜める(12)。

 自分の背きを隠す者は成功しない。告白して捨てる者はあわれみを受ける(26)。

 自分の心に頼る者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる(27)。

 貧しい者に施す者は不足することがなく、目をそらす者は多くののろいを受ける。」(抜粋)


 箴言28章は、嘘や不正がまかり通る社会を背景に、正直であること、誠実であること、そして信仰に固く立つことの大切さを教えています。心の平安は正しい生き方から生まれます(1)。神を恐れる心が、真の知恵と洞察を与えます(5)。正直さやきよさは富に優ります(6)。正しい信仰には従順な心が伴います(9)。指導者によって民の幸せは左右されます(12)。神の赦しの原則です(13)。自分の思いではなく、神のみことばを基準に生きることが知恵への道です(26)。他者へのあわれみの心を持つ人は神の祝福を受けます(27)。


祈り:愛する天のお父さま。あなたのみことばを通して、義、誠実、貧富、そして信仰について学ぶことが出来ました。ありがとうございます。今の世の中も、この箴言28章の時代と同様、嘘と不正が蔓延し、人々はそれぞれが正しいと思うことを行っています。あなたの義を求めない世において、あなたの義を全うすることは、大変難しいことですが、聖霊様の導きによって、道を踏み外しては戻り、踏み外しては戻り、と言う日々を送らせていただいています。あなたの愛と守りに心から感謝いたします。ありがとうございます。主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン

文:アイゾン直子


 
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