top of page
Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

【お知らせとお願い】
​ メールアドレスを登録して頂ければ、
 新規ブログ更新毎にお知らせメールが届きます。​
 この機会に、是非、ご登録をお願い致します。​

ご登録ありがとうございました

 *登録の手順) アドレス入力 → 「>」を押下

 29章の冒頭にでてくる御言葉、「ああ、アリエル、アリエル」の呼びかけのアリエルの意味は、「ああ、イスラエル、イスラエル」という意味ともう一つは「祭壇の炉」であると言われています。その御言葉にふれられた時に示された聖句は、マタイ23:37、ルカ13:34である。そこには、神の選民であるイスラエルが神の招きを無視して、預言者を殺し、イエス自身も拒絶したことに対する神の深い愛と悲しみが述べられています。


 「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。私は何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。」 マタイの福音書23:37


 そして、その結果どうなったかというと、

38節で、「見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。」さらに、

39節で、「わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」と厳しい警告が述べられています。


 イザヤは、それでも、主の憐みがどれだけ深いかも語っています。耳の聞こえない者や目の見えない者でも、見たり聞いたりできるようにしてくださると、イザヤは救いの希望を高らかに預言するのである。なぜなら、この国がアブラハムとヤコブの子孫だからです。神は、彼らと結ばれた契約は決して取り去られるようなことをされません。神は約束に忠実なお方だからです。


 神は、私たちにも忠実なお方です。イエスの十字架の血潮により罪から解放されるという約束は決して変わることがありません。日々、主の憐れみにおすがりして、心のそこから真実に主に感謝して主の胸にとびこんでいきたい者としてなったいくことだと思います。




 愛するご自愛深き天の父なる神様。私たちが、日々、心のそこから真実にあなたを敬い求めて、感謝して、祈り、委ねていくことができますように助けてください。そして、他者のために心のそこから真実に祈り、支えていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 

「それゆえ、神である主はこう言われる。『見よ、わたしはシオンに、一つの石を礎として据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊い要石。これに信頼する者は慌てふためくことはない。」(16)


 この箇所は、メシヤ預言と呼ばれるものです。ローマ9:33、Ⅰペテロ2:6に引用されています。

「われわれは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる。」(15) イスラエルの民は、危機的な状況にあって大国であるエジプトなど、神以外のものに拠り頼んでいくのです。それは一見、政治的、戦略的に有効だと判断されたのでしょう。しかし、実際には死とよみに結びつく、間違った判断であることが叱責されています。


 そして、冒頭の御言葉にある「石」とは、イエス・キリストのことです。この石は「つまずきの石、妨げの岩」(ローマ9:33)と言われています。

 律法による救いを求めていたユダヤ人たちは、イエスの説く恵みによる救いを受け入れることができませんでした。イエスの教えは、彼らにとってつまずきの石となったのです。


 イエスにつまずく者は幸いです。自分たちの思考、判断、選択が、イエスの御心と違うとき、私たちの計画、願望がその通りにならないとき、私たちはつまづきます。しかし、つまづくことによって、私たちは正しい神の道を知り、自分ではなく神に信頼することを学ぶからです。

 


  天の父なる神さま

 ときに、私たちはつまずくことがあります。でもイエスさまにつまづくなら幸いです。その時にこそ、真の正しい道を見い出し、イエスさまに信頼することを学ぶからです。

 私たちがイエスさまにつまずいたとき、どうか聖霊が私たちを励まし、イエスに信頼することを教えてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン                                           文:関真士


 

『蛇レビヤタン』


 黙示録の20章2〜3節「彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのよいように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。」この表現は、このイザヤ書27章1節にあります、逃げ惑う蛇レビヤタンのことを示しているのです。


 自分はヘビ年生まれですが、創世記3章1節に「蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。」とありますように、その時の蛇は、今の蛇のような姿ではなかったのかもしれません。 なぜなら14節に「主は蛇に言われた。どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。」とありますから、それまで蛇は腹這いでは無かったのではないかと思われます。


 蛇の話から、色々と思いめぐらしています、このように、蛇は嫌われる存在であっただけではなく、聖書には、逆説的な話でも描かれています。民数記21章8節「すると主はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」これは、十字架のい主イエスを思い起こさせるイメージで、蛇が使われているのです。そして、マタイ10章16節に、主イエスのことば「いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」同じ蛇でも、主の手によれば、良いものとして変えられることが描かれているのでしょうか。出エジプト7章12節「彼ら(ファラオに仕える呪術者、呪法師)がそれぞれ自分の杖を投げると、それは蛇になった。しかし、アロンの杖は彼らの杖を呑み込んだ。


 蛇レビヤタンは、蛇の中でも最悪の蛇であったのでしょう、しかし、サタンの原型として脱落した天使であったと理解されているのです。 イザヤ14章12~15節抜粋「明けの明星、暁の子よ。どうしておまえは天から落ちたのか。おまえは心の中で言った。私は天に昇って、いと高き方のようになろう。」だが、おまえはよみに落とされ、穴の底に落とされる。


 その日、イスラエルの子は一人ひとり拾い上げられて、エルサレムのせなく山で主を礼拝する。これが蛇レビヤタンを倒されて、イスラエルを再建される主の約束、預言がこの27章に語られているのでしょう。


祈り

私たちが、いつでも主の手によって守られていることに感謝致します。どうか私たちも、主が愛されるイスラエルと民と兄弟となり、一緒にエルサレムの聖なる山で礼拝を捧げる者となりますように。アーメン 

文:森 宗孝


 
bottom of page