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2026年2月25日 へブル人への手紙7章

  • hccnichigo
  • 2月25日
  • 読了時間: 3分

 この手紙は、へブル人に書かれたものなので、旧約聖書に通じていない者たちにとっては難しく感じられるでしょう。

 この著者が伝えたいことは、イエス・キリストこそ真の大祭司であるということです。そのことを説明するために、メルキゼデクやレビ族に言及しているわけです。

 祭司はレビ族から選ばれるという律法がありました。しかしイエスはユダ族に属しています。そうしますとイエスが祭司であることが疑われるわけです。

 しかし著者は、アブラハムがメルキゼデクというレビ族ではない者に10分の一の捧げものをしたという事実を明らかにしました。10分の一を受け取るのは祭司です。つまり、レビ族の元であるアブラハムがレビ族以外のメルキゼデクを祭司として認めたということです。

 このことから、イエスこそ、血筋という肉によって祭司になったのではなく、「朽ちることのない、いのちの力」(16)によって祭司になった、真の大祭司であることを明らかにしているのです。

 このことを明らかにする理由は、律法に基づいた祭司が司る祭儀によっては、人の救いは不完全であるということにあります。やがて死ぬ人間である祭司が動物の犠牲をいくら捧げても、それでは罪からの救いには不十分です。著者は、律法による救いの限界と、真の救いの希望をここで伝えようとしているのです。


「イエスは永遠に存在されるので、変わることのない祭司職を持っておられます。したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神の近づく人々を完全に救うことがおできになります。」(24,25)


 イエスこそ、真の大祭司である、人を完全に救うお方です。アーメン。

 

「イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。」(27)


 イエスが自分自身を献げた、これはまさしく十字架を現しています。イエスの十字架こそ、完全な救いを成し遂げてくださったのです。このことのゆえに私たちは、ただ恵みと信仰によって救いを得ることができるのです。 

 

  天の父なる神さま

 イエスさまが私たちの救いのために十字架で命を捨てて救いを完成してくださったことを感謝いたします。私たちに与えられた救いは、まさに恵みです。ただ感謝して、その恵みを受け取ります。この受難節のとき、さらにイエスさま、あなたの十字架の救いの深さ、豊かさを知ることができますように、どうぞ導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン 

文:関真士


 
 
 

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