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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「バビロンの川のほとり そこに私たちは座り シオンを思い出して泣いた。街中の 柳の木々に 私たちは竪琴を掛けた。それは 私たちを捕らえて来た者たちが そこで私たちに歌を求め 私たちを苦しめる者たちが 余興に 「シオンの歌を一つ歌え」と言ったからだ。どうして私たちが異国の地で 主の歌を歌えるだろうか。エルサレム もしも 私があなたを忘れてしまうなら この右手もその巧みさを忘れるがよい。もしも 私があなたを思い出さず エルサレムを至上の喜びとしないなら 私の舌は上あごについてしまえばよい。主よ 思い出してください。エルサレムの日に 「破壊せよ 破壊せよ。その基までも」と言った エドムの子らを。娘バビロンよ 荒らされるべき者よ。幸いなことよ おまえが私たちにしたことに 仕返しする人は。幸いなことよ おまえの幼子たちを捕らえ 岩に打ち付ける人は。」

 

 この詩は、バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちが、捕囚時代の心情を表現した歌だと言います。捕囚は彼らの肉体的また精神的自由を喪失させました。彼らは柳の木に竪琴を掛け、シオン(エルサレム)を思い、泣きました。神の臨在がない捕囚(異国)の地で主を賛美することなど出来ず、主が住まわれた神殿を思い、泣きました。しかしこの詩人の心の中には、エドム人やバビロンに対する憎しみの感情が残っていました。彼らに仕返しする人は幸いだと詠いました。


 人間には感情があり、それらは常に揺らいでいます。この詩人も、自分の祖国を愛するがゆえの感情を、ありのままに神に告白しました。それは、たとえ良い人でも、人を呪うような言葉を吐くのだということを教えています。悪い思いに駆られる時、話すことが大切です。そうすることで、主イエスに愛されている自分自身に気づき、悪い思いを治す最良の薬となります。ただし、その悪い思いを長く保ってはいけません。それではサタンの策略に加担してしまいます。神は敵にも恵みを注がれるお方です。「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)と主が言われるように、憎しみの感情に襲われたなら、告白しましょう。そして主の平安をいただいて、敵のために祈りましょう。

文:アイゾン直子


祈り:愛する天のお父さま。どんなときも、私を愛してくださり、ありがとうございます。主の恵みは絶えることがありません。あなたの十字架の愛に心から感謝いたします。あなたの平安を求めます。感情によって心が左右されないよう、お守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


 

「主の恵みはとこしえまで。」


 詩篇136篇は、1節から26節まで「主の恵みはとこしえまで。」で綴られています。作者は、イスラエルの歴史を振り返り主がどれだけ自分たちにすばらしいことをしてくださったかをここに述べています。出エジプトの時に葦の海を二つに分けて自分たちをエジプトから連れ出し、荒野での苦しみからの助け、カナンを相続の地として与えてくださったこと。それらは、すべて主の恵みでとこしえまでも続くと歌っています。


 この136篇を読んでいて一つの賛美が思い出されました。それは、聖歌604番の「望みも消え行くまでに」です。クリスチャンなら誰でも知っている賛美です。

三番までありますが、1番をここに記したいと思います。


 望みも消えゆくまでに 世のあらしに悩むとき

 かぞえてみよ主の恵み なが心はやすきをえん

 かぞえよ主の恵み かぞえよ主の恵み 

 かぞえよひとつずつ かぞえてみよ主の恵み


 主が私たちになされた恵みは果たして数えることができるでしょうか。数えることができないほど、主の恵みは大きなものです。そして、その、主の恵みはこれからもずっと、ずっと私たちが知らないところで働いてくださっておられるというのです。なんとすばらしい主の愛でしょうか。


 私たちは、主の恵みによってこの世に生をあたえられました。主の恵みによって、イエス・キリストを受け入れて罪が赦され、永遠のいのちがあたえられました。その他にも数えることのできないほどの主の恵みを受けています。これからもずっと。実に感謝のことであります。


愛する天の父なる神様

 望みが消された時、世のあらしにもまれたときに、あなたが私たちにしてくださった恵みを思いだし、数えていくことができるように心に平安を与えてください。決してあなたの恵みを忘れずに、一つずつ思いだしていける信仰をもつことが出来ますように導いてください。この私たちへのあなたの恵みがとこしえまで続いてくださることを心から感謝します。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 

『救いの歴史』


 イスラエルの民は選民、主に選ばれた民です。ヨハネの福音書15章16節に、イエスのことばがあります。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」 このように主がイスラエルを選んだ、救いの歴史がここに記されています。


 この詩篇4節「主は ヤコブをご自分のために選び イスラエルを ご自分の宝として選ばれた。」そうして、エジプトの地で奴隷となっていたイスラエルの民を救い出したこと、約束のカナンの地に住む、異端の教え、偶像礼拝を行う民を打って、イスラエルに、この地をゆずりとして与えられたので、主をほめたたえよ、と何度も繰り返される詩です。大いなる主の恩恵にあずかったことをわすれるな、ということでしょう。


 ところが、イスラエルの民も、主の恩恵を受けている私たちも、同じように主の恵みを忘れてしまい、的外れな生き方に走ってしまうのです。特に神に選ばれるということは、大変な責任を負うことになることを忘れてはなりません。預言者として選ばれた者たちの生涯は、苦痛に満ちたことを思い出します。イスラエルの民も、選ばれたゆえに、主をほめたたえることを忘れてしまった時には、バビロン捕囚やエルサレムが占領されてしまうのです。


 現代のイスラエルも、主イエスご自身がアブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神 あってある者ということを信じるユダヤ人は、非常にわずかです。父なる神を讃えていますが、神の御子イエスを未だ受け入れていません。どうかイスラエルの民が、主イエスを受け入れて、祭司となって世界中に、みことばを広める役目を果たすことができますように。


祈り

主をほめたたえます! 今までの、選民であるイスラエルの救いを覚え、これから先、すべての信じる者たちへの救いと導いてくださる、主イエスをほめたたえます。アーメン 

文: 森 宗孝


 
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