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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『さばきを行う主』


 ダビデは、嫉妬したサウル王と部下たちに追われて、悪しき者の手から守って下さいと祈っています。それは主なる神が、苦しむ者の正しい訴えを聞き取り、裁きを行う方であることを知っていたからです。


ヘブル人への手紙9章27節「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」


コリント人への手紙 第二5章10節「私たちはみな、善であれ悪であれ。、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。


 私たちも、この闇の世において、暴虐を行う者、悪を働く者から、守って下さい。自分自身だけでなく、娘たちや孫たちを守って下さいと祈ります。わざわいからもお守り下さい。よこしまな人から守って下さい。私をつまずかせようとする者から守って下さい。 彼らの悪巧みを遂げさせないで下さい。


 そうして、主が信じる者の苦しみの訴えを聴いてくださることを信じるのです。しかし、この訴えは、自分が願っているタイミングでくだされるわけではないことも理解しましょう。


箴言20章22節「悪に報いてやろう」といってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。」


ローマ人への手紙12章19節「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの わたしが報復する。」主がそう言われます。」


 主イエスは初臨の時には、私たちに恵みを与えるために、この世に降られました。そして、みことばを伝え、神の義を身をもって示されました。もしも、主イエスの十字架、贖いがこの地ではなくて、天で行われたとしたら、私たちには神の義を見て、体験することができなかったことでしょう。そうして、主イエスの再臨の時には、この義を信じる者たちは救われ、恵みを受けますが、信じない者たちは、その裁きを受けることになるのです。


祈り

わたしたちの主は、必ずもう一度戻って来られます。再臨される主は、もはや飼葉桶に包まれた、幼子として来られるのではなく、裁きの剣をもって来られるのです。信じる者たちは、主のもとに引き上げられますが、この世に残された者たちには、それぞれが裁きの座にたつことになることを覚え、多くの者が救われるように祈ります。アーメン 


 

「神よ あなたの御思いを知るのは なんと難しいことでしょう。

 そのすべては なんと多いことでしょう。」17節

「数えようとしても それは砂よりも数多いのです。 私が目覚めるとき

 私はなおも あなたとともにいます。」18節


 主は、私たちのすべてを知っておられる。だが私たちは、神の御心を知ることがとても難しくて、できません。特に、試練のなかにいるときは、主の御心が何であるのかを知りたいために試行錯誤しながら祈ります。


 祈りはすぐにはきかれることがありません。焦りと不安のなかで悩むときがあります。しかし、主なる神はすでに私たちのための道を用意してくださっておられるのです。なぜなら、主は、私たちのすべてを知っておられるからです。そして、私たちと共に歩いてくださるのです。忍耐をもって、主の御心が何であるかを待ち望む者でありたいと思います。


 神の御思いは、砂粒を数えきれないほどに無限で私たち人間の理解をはるかに超えています。そして、朝、目覚めたときにも、主が私たちと共にいてくださり、守ってくださるという主の憐みが述べられています。


 18節の目覚めについて、ある牧師の解説が心に響いてきました。この目覚めというのは復活だということです。神を信じる者が死ぬことを、「眠りにつく」と聖書は表現し、そして死者の中から蘇ることを「目を覚ます」と表現します。ここでは、主が必ず、死後まで、その復活をもってあなたを守られます、という救いの保障だということです。私たちクリスチャンは、救いの保障が約束されています。何という感謝のことでしょうか。



 天の父なる神様。あなたが私たちのすべてを知っておられて、いつも私たちと共におられて、私たちのために執り成しておられることを心から感謝します。又、イエス様の十字架の血潮によって永遠のいのちが保障されていることも感謝します。あなたが私たちのためにしてくださった、数えることができないほどの恵み、憐みを忘れることなく義なる信仰の道へ歩むことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 

「あなたがご自分のすべての御名のゆえに あなたのみことばを高く上げられたからです」(2)


 ダビデの感謝から始まるこの詩篇で、上記のみことばが目に留まった。ここに神様のめぐみとまことが表されている。みことばは「土の炉で七度試され 純化された銀」(詩篇12:6)といわれるように、疑うことなく完全に信じることのできるものだ。時代によらず、こちらの霊的状況によらず、神様は神様のゆえにみことばにご誠実であるということを思わされた。神様は語られたことを必ず成し遂げて下さる。だからこそ、ダビデも聖なる宮に向かってひれ伏して賛美を捧げているのだ。


 みことばは信じるすべての者にとっての希望の光、導き、力と守り、慰め...


「私が呼んだその日に あなたは私に答え 私の魂に力を与えて強くされました。」(3)


「私が苦しみの中を歩いても あなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし あなたの右の手が私を救ってくださいます。」(7)


「主は私のためにすべてを成し遂げて下さいます。主よあなたの恵みはとこしえにあります。」(8)


 神様は信じる者をこのようにめぐみとまことで包んでくださる。このような祝福をいただき、いつかはすべての王すらも神様のすばらしさを賛美するようになるだろうとダビデは信じ、この詩編で歌っている。すべての王たちも神様の道を歌うようになるだろうと。神様を信じる者すべてに神様は関わって下さり、神様のすばらしさを味合わせて下さる。



天のお父様 神様を主と見上げることができる恵みを感謝いたします。神様が神様であられるがゆえに、信じるものすべてを祝福して下さることを感謝いたします。あなたは真実なお方。みことばをそのまま信じることができるようにして下さっています。ダビデの人生は平坦なものではありませんでしたが、神様に守られ、力づけられ、導かれてきているということを知っていました。詩篇23篇では恵みが追って来ると詠んでいます。そのように感じ生きることができるのは、神様との関係にあるのでしょう。わたしももっとすべての局面であなたを思い、あなたを信じる者にならせて下さい。あなたの御心が成りますように。また、この地にあなたの御心が成りますように。あなたの御手のわざをやめないでください。この地が心を尽くして神様を賛美するものであふれますように。イエス様の御名によってお祈りします。 アーメン


 
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