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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 本日の三章では、不安と安心感を同時に覚えた。


2節「また、私たちが、ひねくれた悪人どもから救い出されるように祈って下さい。すべての人に信仰があるわけではないからです。」


3節「しかし、主は真実な方です。あなたがたを強くし、悪い者から守って下さいます。」


 パウロは迫害の中にあっても神を信じイエス様の福音を伝える者の一人だ。御言葉を伝えるものたちが、守られるように祈っている。


 3節の「あなたがたを強くし」であるが、私が受け取った意味は試練にあい、その度に強くなり、そうやって神様が強めて下さり、悪い者から守って下さる、ということである。だから、「いつも喜んでいなさい。」に繋がり、とても安心感を覚える句である。


 さて、「祈り」とはなんだろう。パウロは2節で「祈って下さい。」と懇願している。


 私は、洗礼を受けたばかりの頃 大先輩の兄弟が、「神様は、全ての祈りを聞いている。だから、なんでもお願いしたらいいよ。それが、御心ならばかならず成るから。」とさらっと答えてくれた。思えば、いつも自分は、お願いの祈りをしていたと思う。なんと自分勝手だったんだろう、と申し訳なささと不安を覚えた。神様の御心なのかどうかをよく考えていなかった。


 つい二日前の朝、私は自分の名前を呼ばれて、目が覚めました。誰も実際には私の名を呼んでいないのだが、確かに聞こえ、“Yes“と答え目をあけた。これは2度目の体験である。今思えば、あの力強くも優しい声はイエス様だったと確信する。


「(略)、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)


祈り:愛する天の父なる神様、

 私たちは、いつでもどこでも祈ることができることに、感謝です。また祈らない、という自由も与えて下さっています。イエス様がそうしたように、そしてイエス様に愛された弟子のパウロがそうしたように、あなたと人格的に深いつながりを持ち祈ることができますように。一人一人の名が既に、天に書き記されています。どうぞ、私の名を毎日呼んでください。共にいて下さり、感謝します。主イエス・キリストの御名により、人類全てが救われますよう 祈ります。アーメン

文:マッカーター政子


 

『イエス・キリストの再臨についての警告』



 パウロは、イエス・キリストの再臨について誤解、修正、警告をしています。

テサロニケ教会の中に「主の再臨の日はすでに来た」という人々がいたと言われています。パウロの名を使った手紙や偽りの証言をする偽預言者がいたということです。いまでも、自分がキリストであるという人がかなりいると言われています。


 パウロは、そのようなことを正すために次のことを述べています。

主の日が来る前には、まず背教が起こり、不法の者が現れなければ主の日は来ない。背教とは、キリスト教に背いて、他の宗教に改宗することで、不法の者とは、神に対抗して自分こそが神であると宣言するものです。偽預言者、反キリストとも呼ばれている者です。


 そして、パウロは、神は、そのような人々に惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになりさばかれるようになるというのです。怖いですね。人々に惑わす力を送られる神は、完全に悪を裁かれるお方、一掃されるお方です。私たちもそのようにならないように日々主に心をむけていくことが大事だと思います。


 だが、パウロは13節でテサロニケ教会の信徒たちに対する感謝の祈りが記されています。そして、滅びることがないと言っています。


「しかし、主に愛されている兄弟たち、私たちはあなたがたのことについて、いつも神に感謝しなければなりません。神が、御霊による聖別と、真理に対する信仰によって、あなたがたを初穂として救いに選ばれたからです。」13節


 パウロがどれだけテサロニケ教会の信徒を愛していたかがうかがわれます。私たちもキリストの再臨について、偽預言者、反キリストたちによって落ち着きをうしなったり、心を騒がせたりしないようにしなければなりません。聖書の正しい教えをしっかりと身に着けていきたいものです。



 父なる神さま。パウロがテサロニケ教会の信徒たちに語ったキリストの再臨は私たちにも言えることです。その日が来るのを主に在って、見極めることができますように、私たち一人一人の心の霊の目を開かせていただけますようにお祈りします。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 

『天国の希望』  


「神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。」(6~7節)


 使徒パウロが『テサロニケ人への手紙第二』を記した目的の一つは、迫害のただ中で苦しんでいる兄弟姉妹を励ますためでした。1章4節には下記のように書かれています。「ですから私たち自身、神の諸教会の間であなたがたを誇りに思っています。あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。」 当時テサロニケ教会の兄弟姉妹は、大変な迫害に苦しんでいました。この迫害に苦しんでいる兄弟姉妹を、パウロは終末論を記すことで励ましました。終末とは、世の終わりのことです。

 

 世の終わりには、イエス様はすべての人の目に見えるお姿で再臨されます。その時にすべてのクリスチャンはイエス様の御許に引き上げられ(携挙)、朽ちることのない栄光の体に変えられます(第一テサロニケ4章13~18節)。そして、全ての悪しき者は裁かれます(黙示録20章11~15節)。この裁きから逃れられる人は誰もいません。滅ぶべき人すべてが地獄に入れられます。そして、もろもろの悪霊の頭であるサタン(悪魔)も永遠の滅びに入れられます(黙示録20章10節)。

そして、私たちクリスチャンは、永遠の安息である天の御国に入れられるのです。


 「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。『見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から 涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである』」(黙示録21章1~4節)


 私たちの人生は、この地上で終わるのではありません。天国(神の国)が私たちの帰るべき本当の実家です。ですから私たちは、天国信仰をしっかりと持って生きることが大切です。神の国を喜んで待ち望むことは、この世の苦難を乗り越える力です。あなたは、素晴らしい場所に向かって進んでいます。私たちのゴールは神と顔と顔を直に合わせて生きる、喜びと感謝にあふれる平安な国です。そこでは、あなたの地上での全ての労苦が報われます。


「しかし、実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです」(へブル人への手紙11章16節)

文:吉田文人

 
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