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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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  • hccnichigo
  • 10月13日

『わが子よ 知恵を知れ』


 自分の母が亡くなってしばらくしてから、姉達との会話の中で、生まれて初めて母が長崎で洗礼を受けていた事を知った。子供の頃に、母と一緒に教会に行くことも無かったし、家では全く、宗教色が無かったので、大変驚いたものだ。しかしながら、母からのことばを思い起こすと、なるほど聖書の匂いがした。クリスチャンの家庭に育った子供たちは、幼い頃から主のみことばを教わって育つ、大切な宝を心に植えてもらう。1節「わが子よ、私の教えを忘れるな」 自分が、クリスチャンで無く、若い親であった頃を、思い出すと娘達に何も主のことばをシェアーしてあげられなかった、しかし自分の代わりに妻が、教会に連れていき、みことばを幼子に伝えていた事を思い起こし、今更ながら妻に感謝しています。きっとクリスチャンの親を持つ子供は、幼い時から、知恵を学ぶ喜びを知るのでしょう。ですからこの、1節は、私の教えというよりも、主からの教えを伝えたことを忘れるなでありましょう。


 教会で毎週読むこの箴言9〜10節抜粋「あなたの財産で主をあがめよ、そうすればあなたの倉は豊かさで満たされる」そして16節「知恵の右手には長寿があり」と豊かさと長寿の約束があるのは、決して私たちが、生活をEnjoyするため、地上の命を楽しむためではなく、その人生をもって、神と人とに長く仕えるためであることを忘れてはならない。主から恵みを受けるのは、溢れる恵みをもって分け与えるためである。


 そうして、人の知恵には限界があり、永遠の真理である神の知恵を理解することは、出来ないが、人の知恵をもって、神の知恵に応じることはできる、それが私たちの道徳となってゆく。7節「自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。」神は傲慢な者を遠ざける、21節「わが子よ、見失ってはならない。知性と思慮をよく見守れ」 主に拠り頼め、主を知れと願うのは、どの時代でも親心ですね。


祈り

正しい人の住まいは、主が祝福されるとあります。どうか主の道を、間違わずに歩む者となり、主の恵みを多くの者と分かち合える心をくださいますように、主が、この世の数々の罠から救ってくださいますように願い続けます。 アーメン

文: 森 宗孝


 
  • hccnichigo
  • 10月12日

『知恵を知る幸い』


 箴言2章では、聖書が教える知恵を銀貨を探すように、又、隠された宝を探すように必死になって求めるなら、この上ない幸いを得ることができると語っています。その幸いとは、


 主を恐れることを知り、神を知ることを見出すことによって、主が知恵を与え、神の知識を知る幸いです。自分が窮地に陥った時には、自分の知識に頼らずに主に目をむけて祈ることです。そうすれば主の偉大さを知り、さらに、主を恐れることを知ることができると思います。そうすれば、主によって知恵が与えられ、神の知識を知る幸いにいきつけるのです。


 そして、主によって正しい道を歩ませてくださる幸いです。

知恵に従って公正の道筋を保つなら、10節のみことばのようになると語っています。


10節「知恵があなたの心に入り、知識がたましいに喜びとなるからだ。」


 さらに、悪の道から守られる幸いです。

悪を行う人たちは快楽を楽しんでいます、だが、その誤った快楽の曲がった道に入った者たちは、地からたたれ、地から引き抜かれます。私たちの周りには悪が氾濫しています。クリスチャンである私たちでもその中に引きずり込まれる可能性はあります。正しい道を選ぶか、悪の道を選ぶかは、現代においていろんなかたちで問われるところではないでしょうか。そして、21節、22節の御言葉は、私たちにとってとても大切なことだと思います。


21節「こうして、あなたは善良な人たちの道に歩み、正しい人たちの進む道を守る。」


22節「正直な人たちは地に住まいを得、全き人たちは地に生き残る。」


 善良な人たちの道に歩み、その道を守るなら、地に住まいを得、生き残らせてくださるというのです。私たちは、どんなことがあっても常に知恵を求めていくことだと思います。なぜなら、知恵は神から与えられたもので私たちを悪から救いだしてくれるからです。


愛する天の父なる神さま。

 あなたの御名を心からほめたたえます。今日の御言葉を心から感謝します。私たちの知恵ほど頼りないものはないです。すべては、あなたから与えられるものです。常に、聖書の御言葉によって知恵と知識を得る喜びをもつことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

 
  • hccnichigo
  • 10月11日

 箴言1章2節に「これは、知恵と訓戒を知り、悟りのことばを理解するため、」とあります。ここではまず、知恵と訓戒を学び、義とさばきと正しさに歩むために箴言が与えられたことが語られています。4節5節に、若い人にも、すでに経験を積んだ人にも、この知恵の言葉は成長をもたらすとあります。そして、その土台にあるのは「主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」(7節)


 神さまを畏れ敬う心こそ、知恵の出発点であり、神さまの前に謙遜であるかどうかが人生の分かれ道となるということでしょうか。


 続いて、親の教えを守り、悪い仲間に誘われてもついて行かないようにと言ってます。「一緒にやれば得になる」と甘いことばで誘われる場面は、この時代だけでなく、現代にも多く存在しているように思いました。例えば「簡単に儲かる」「今だけのチャンス」といった言葉は、いろいろなところで目にしますし、耳にも入ってきます。耳ざわりは良くても、やがて自分を滅ぼす道につながってしまいますよと、そのような安易な誘いに心を奪われないようにと教えています。これは、耳が痛いですね。私自身も「一つ買えばもう一つついてくる」といった広告にひかれて、つい必要以上のものを買ってしまうことがあります。(笑)


 また、この章の後半(20.21節)では、知恵がまるで人のように町の広場で声をあげて呼びかけている姿が描かれています。しかし多くの人はその声を無視し、自分の思いに従って歩み続けます。その結果、災いが襲うときに助けを求めても、知恵は答えないと警告されます(24–28節)。それは神さまが冷たいからではなく、神さまの呼びかけを無視し続けているうちに、私たちの心が聴く耳を持たなくなるからです。


「しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住み、わざわいを恐れることなく、安らかである」(33節)


 それでも、知恵の声に耳を傾け、神さまの導きに従う人には、安心して生きる平安が与えられると約束してもらえるのです。

 せっかく約束してくださっているのですから、私は、日々の生活の中で知恵の呼びかけに応える歩みを選びたいと思います。忙しさや自分の考えにとらわれて神さまの声を無視するのではなく、祈りをもって立ち止まり、「これは神さまに喜ばれることだろうか」と問いかけながら選択をしていきたいと思いました。



愛する天のお父さま 「主を恐れることは知識の初めである」と教えてくださり感謝します。どうか私を導き、目先の利益や安易な誘いに惑わされず、あなたの喜ばれる道を選ぶ者としてください。聖書や祈り、人を通して語られるあなたの声にも敏感であり、「安全に住み、わざわいを恐れることなく、安らかである」という平安をもって今日を歩めますように。

 主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


 
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