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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『救いは主による』


 ガザでの和平交渉が成立したかに見えたものの、イスラエルとパレスチナとの争いの根は深い、ウクライナとロシア、北朝鮮の脅威と中国の覇権主義にも脅かされて、日本も今の平和を維持できるだろうかと心配になる今日この頃です。 この箴言の31節「戦いの日のために馬が備えられる」とあるように、いざという時に国を守る武器を十分に用意することは、それぞれの国の指導者たちが、自分達の責任と考えざるえない現状です。


 ところが、聖書は私たちは闇の中に住んでいることを気づいていないと語ります。30節「どんな知恵も英知も、はかりごとも、主の前では無きに等し」 10節「悪しき者のたましいは悪事に憧れ、その目に隣人のあわれみはない。」どのように国を守りたい、自国民を大切にしようと愛国心に燃えても、本当の救いは主からくると記されています。


 聖書には、偽預言者がたびたび登場します。私たちは往々にして、彼らは悪者であったとレッテルを貼ってしまいがちです、ところが実際には、彼らは大変な愛国者だったことが分かります。例えば、アモス書で、アモスに対抗するベテルの祭司アマツヤが、アモスに対して(アモス書7章13節)「ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の宮だからだ。」とイスラエル王ヤロブアムにも、アモスはあなたに謀反を企てていますと進言するのです。祭司アマツヤは、尊敬されていた愛国者でありました。しかし、偽預言者は、まず自分の国の事、国王の意志を第一に考えていて、父なる神のことは二の次だったのです。偽預言者は喜ばれ、逆に神の裁きを告げる預言者は迫害されました。神に従うか、人に従うか、ここに本物の預言者と、偽預言者の違いがあります。


 このように、正しい者、主の救いを語る箴言ですが、なかなかユーモアにも溢れています。9節「争い好きな女と一緒に家にいるよりは、屋上の片隅に住むほうがよい。」19節「争い好きで、苛立つ女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。」ここは、女性でしたら、女を男に言い換えてみたら良いかもしれません。 なんとなく、うなずきたくなる言葉ですが、どのようにして、この節が、正しい者と悪者の対比の中でつながっているのか、不思議な言葉が、ポロリと出てきたのでしょうか。これもソロモンが著者であるとすれば、数多くの政治結婚で増えた妻たちに対する思いが、思わず現れたのでしょうか。


祈り

どうか、私たちがこの世において、ただ単に戦いの日のための用意をするのではなく、希望の福音を代わりに準備して、主による救いを伝え続ける事ができますように。偽預言者に惑わされないように、主が導いてくださいますように。 荒野にすむよりも、やはりSweet Homeに住む喜びで満たしてくださり感謝します。 アーメン 

文:森 宗孝


 

「ぶどう酒は嘲る者。強い酒は騒ぎ立てるもの。

 これにおぼれる者はみな、知恵がない。」1節


  クリスチャンは、お酒は飲んではいけないのかということをよく聞くことがあります。聖書には禁酒することは書かれていませんが、飲んでもいいが酔ってはいけない、おぼれてはいけないことが書かれています。箴言20章1節でも冒頭に書かれています。また、エペソ人への手紙でも述べられています。


「また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御       霊にみたされなさい。」エペソ人への手紙5:18


 お酒を飲んで気持ちが楽しくなり、いろんな辛いことから解放されるということがありますが、聖書は、お酒に頼らずに御霊に満たされていればお酒以上の平安、幸せを与えてくださるということです。


 先日、アカデミー国際長編映画賞に輝いたデンマークの映画を観た。

「Another round、もう一杯ずつ」というタイトルで、内容が、学校の教師である4人の中年のおっさんがマンネリ化した生活からお酒で生きる自身や喜びを取り戻そうするものでした。彼らは、ノルウェー人哲学者の「血中アルコール濃度(0.05%)を一定に保つと、仕事の効率が良くなり、想像力がみなぎる。」という理論を証明するため、4人とも朝からお酒を飲んで学校の授業を実験したのである。結果は大成功で、彼らは、それぞれに自信をもつことができた。しかし、それと同時にアルコールの濃度をさらに上げたのです。そしたら、すべての歯車が狂い始めて、一人がアルコール依存症から抜け出せなくなり命をおとすことになり、他の3人も家庭が上手くいかなくなったのである。結末は、それぞれの生活を修正することができてハッピーエンドでしたが、この映画は、デンマーク語の原語Druk(大量飲酒)がテーマとなっています。4人とも、酒におぼれてしまって知恵がなくなっていく、つまり、酒で現実逃避をしてきたのです。なんともいえない哀れな気持ちにさせられました。

 私たちが頼れることができるのは、ただ神のみだけです。



 ご自愛深い天の父なる神さま。あなたの御名を心からほめたたえます。

私たちは、時々何を優先すべきであるかを忘れてしまい、手っ取り早いことに手をだすことがあります。そのような時には、真の平安、幸せは、主なる神にしかできないということを私たちに悟らせてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 

『主の計画こそ実現する』

 

 ヨハネの福音書16章23節に「わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。」と求めなさい、そうすれば与えられるというみことばは有名で、どうしても、クリスチャンは願いさえすれば、神から与えられるというイメージを持ってしまうわけですが、現実には、どんなに欲しいと思って願っていても、聞き入れてもらえるとは思えないこともあるわけです。その違いはなんであろうと考えたわけです。


 この箴言に、答えがあるようです。21節「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」確かに、私たちには色々な願い、祈りがあります。病を癒してください、家族の安全をお守りください。子供たちを正しい道に導いてください。自分が貧しくならないようにしてください。健康をお守りください。私たちの心には多くの思いが次々と湧き出てきます。しかし、主の計画だけが実現するので、その主の計画が自分の思いと一致した時に、それは必ず実現するというのです。


 私たちには、自分の心の中に、例えば理想的な教会はこういう教会というイメージがあります。そして同時に、そのイメージと異なる、内部問題を抱えたりする現実の教会、その実情などを目の当たりにしてしまうと、失望に陥ります。あまりにも自分のイメージする教会と現実にギャップがあるからです。これは、家庭生活にも言えるかもしれません。近頃よく目にする記事に、熟年離婚の記事があります。長年寄り添っていた夫婦が、ご主人が会社を無事に引退した日に、奥さんから今まで子供たちのことも思い、ずっと我慢して一緒に暮らしていたけれど、子供たちも独立したし、とても余生を毎日、あなたと暮らす気持ちはありませんと、三行半を渡される記事です。時々、自分自身は大丈夫かと心配になったりしますが... 私たちの心には自分が描く理想的なイメージがある反面、現実との違いに悩まされてしまいます。


 このギャップを埋めるにはどうしたら良いのでしょうか。それは自分の理想ではなく、神の計画が何であるかを求めることではないでしょうか。なぜなら主の計画こそ、必ず実現するからです。そして、この主の計画を知るためには、主の心を知る必要がありますから、主のことばを学ぶのです。そして、祈ること、しかもただ単に自分の思いの実現を願って祈るのではなく、主の計画を教えてください、自分にわからせて下さいと祈りの対象をはっきりと決める必要があります。


 祈りは神を変えず、祈りは祈る者の心を変える。アーメン  

文:森 宗孝


 
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