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2026年9月4日 アモス書8章

  • hccnichigo
  • 12 分前
  • 読了時間: 3分

「神である主は私に示された。そこには一かごの夏の果物があった。主は言われた。「アモス。何を見ているのですか。」 私が、「一かごの夏の果物です」と言うと、主は私に言われた。「わたしの民イスラエルに終わりが来た。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。その日には、神殿の歌声は悲鳴に変わる。―神である主のことば― 多くの屍が、いたるところに投げ捨てられる。口をつぐめ。」 聞け。貧しい者たちを踏みつけ、地で苦しむ者たちを消し去ろうとする者よ。あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きの秤で欺こう。弱い者を金で買い、貧しい者を履き物一足分で買おう。屑麦を売ろう。」 主はヤコブの誇りにかけて誓われる。「わたしは、彼らのしていることをみな、いつまでも決して忘れない。地はこのために震えないだろうか。地に住むすべてのものはナイル川のように持ち上がり、エジプトの大河のように、うねって沈まないだろうか。その日には、― 神である主のことば― わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くする。あなたがたの祭りを喪に変え、あなたがたの歌をすべて哀歌に変える。すべての腰に粗布をまわとせ、頭を剃らせる。その時をひとり子を失ったときの喪のように、その終わりを苦渋の日のようにする。見よ、その時代が来る。― 神である主のことば― そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことの飢饉である。彼らは海から海へと、北から東へとさまよい歩く。主のことばを捜し求めて行き巡る。しかし、それを見出すことはない。その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てる。彼らは、サマリアの罪過にかけてこう言う。『ダンよ、あなたの神は生きている。』 『べエル・シェバの道は生きている。』 しかし、彼らは倒れて二度と起き上がれない。」

 主がアモスに見せた4つ目の幻は「一かごの夏のくだもの」でした。夏のくだものはその年の最後の収穫物です。つまりイスラエルに対するさばきが間近に迫ったことを示していました。北王国イスラエルは経済的な繁栄とは裏腹に、霊的には腐敗していて、民の間では富んだ者が貧しい者をないがしろにし、商売で不正を行ったり、礼拝も形式的で、口では主をあがめながらも、心は神から離れていました。この後、民はアッシリア捕囚を経験することになりますが、最も恐ろしいのは、みことばの飢饉が与えられることだと思います。主は、「わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことの飢饉である。彼らは海から海へと、北から東へとさまよい歩く。主のことばを捜し求めて行き巡る。しかし、それを見出すことはない」と言われました。主を信じる者にとってみことばはパンより大切です。それが与えられなくなるということは霊的死を意味しています。恵みの時代に生きる私たちは、日々聖書や礼拝を通してみことばを食し、神の声を聞くことができます。それらは決して当たり前のことではなく、「今日、神は私に何を語っておられるだろう?」という姿勢を忘れずに、学んだみことばを実践する者でありたいと願います。


祈り:愛する天のお父さま。どうか私が「あなたのみことばを聞けることは当たり前」などと思わないようにしてください。私に語られるみことばから逃げず、理解したことを実際の生活で行うことができますように。私の心が鈍くならないように、今日、あなたの声に耳を傾けることができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン                                      

 文:アイゾン直子


 
 
 

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