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2026年9月1日 アモス書5章

  • hccnichigo
  • 12 分前
  • 読了時間: 3分

『主の日は闇』


 1節に「イスラエルの家よ、このことばを聞け。私はあなたがたについて哀歌を歌う。」この哀歌の注釈を調べてみると、エレミア書3章21~22節「一つの声が裸の丘の上で聞こえる。イスラエルの子らの哀願の泣き声だ。彼らが自分たちの道を曲げ、自分たちの神。主を忘れたからだ。背信の子らよ、立ち返れ。わたしがあなたがたの背信を癒やそう。」確かに、哀歌は哀願の泣き声であることが分かります。


 旧約聖書全体を通じて、何度も何度も繰り返される創造主からのメッセージは、神の愛する民は、私から離れてしまっている、わたしのもとに立ち帰りなさい、さもなくば厳しい審判が下されるということではないでしょうか。そして、それは現代の私たちにも当てはまる主の声であると思うのです。


 このアモス書5節には、北イスラエル王国が、自国民が南ユダ王国にあるエルサレム神殿まで行かないようにと、北王国内に設置した聖なる場所のはずであるベテル、ここは昔ヤコブが夢をみて天につながっている梯子を神の使いが上り下りしているのを見た場所、ここに北王国イスラエルは、なんと金の講師を礼拝する場所にしてしまったのです。ギルガルはヨシュアが主によって堰き止められたヨルダン川を渡ってきた所で、神の救いの出来事を記念する場所(ヨシュア記4章)を単なる記念の場としてしか扱っていなかった。そしてべエル・シェバは、アブラハム・イサクという信仰の先祖たち族長の歴史的場所ですが、ここを形式的な信仰の場所としてしまっていたのです。


 これらの場所は、主を求めて生きるようにしなければ、無に帰すると預言されてしまいます。ですから、この章においては、主の日は、イスラエルの民を裁きの対象として、主は通り抜ける。主の日がくれば幸いだと思っている民に対して、主の日は、あなたがたにとっては、光ではなく、やみであるといわれているのです。 エジプトの奴隷から解放してくださった主が、ユダヤの民の家を過越して助けてくださったように、主の日が来て守られると思っていたイスラエルに対して、神が来られること自体が、罪を裁く暗い日になると警告しながらも、4節「主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めて生きよ」と希望をも語っていることを忘れてはならないのです。神の裁きの日、主の日は必ず訪れて、聖なる神は罪を裁かざるをえないのです。しかし、主を求めて、神への反逆から立ち直れば、生きるようになるのです。善をもとめよ。悪を求めるな。形式的な礼拝にとらわれないで、主を求め続ける生き方をしなさいとアモスは警告しながら、やがて北王国イスラエルの運命、ダマスコのかなたのアッシリアに捕られ移住させられる運命を預言しています。


祈り

主の日は、主を求めずに背く者にとっては暗闇の日となります。形式的な礼拝は役にたちません。それは主の恵み、慰めは背く者たちの中を通り過ぎてしまい、主の日が救いの日ではなく、裁きの暗闇の日となってしまうことを肝に命じます。どうか主を求め続ける、主の道を歩む者として生きてゆきますように、弱い自分を導き下さい。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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