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2026年8月31日 アモス書4章

  • hccnichigo
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

『それでもわたしのもとに帰って来なかった』


 預言者アモスは神の審判を、北王国イスラエルに告げた、審判の理由は、神のもとに帰って来なかったためで、神から離れてしまった民の罪を事細かに示しています。まず6節後半「パンを欠乏させた(飢餓を起こした)それでもわたしのもとに帰って来なかった。7~8節 雨を降らせなかった(干ばつを起こした)、それでも帰って来なかった。10節 疫病を送ったが、それでもわたしのもとに帰って来なかった。11節 ソドムとゴモラの裁きのように、多くの民を滅ぼしても、わたしのもとに帰って来なかった。


 ここまで読むと、まるでヨハネの黙示録の世界のような災難がイスラエルに下されていて、それは聖なる民であるはずのイスラエルが、悔い改めて主のもとに帰ってくるように願っておられたことが分かります。黙示録にもあるように、災難に会えば会うほど、人々は偶像を拝んで、助けを求め続ける姿が描かれています。それに対する神の嘆き、なぜあなたがたの創造主である、わたしのもとに戻らないのかと泣き叫ぶような、神の願いをここに見るのです。


 そうして、神のもとに帰って来ないことは、ただ単に北イスラエル王国だけの話にとどまらず、1章から2章にかけて、周辺諸国への審判、もっともイスラエルから北にあるダマスコから始まり、南のガザと時計の針の順番のようにぐるりとイスラエルの周りの国の審判を告げて、あなたもそうだと言わんばかりに、イスラエルの審判を告げているという、イスラエルの外か内に近づく審判、地上の民族が、本当の主から離れてしまい、責任を果たしていない嘆きとそれに対する審判を、この南ユダ出身の農民預言者アモスは、北王国イスラエルの将来の審判を伝える役目を負っていたのです。


 どうでしょうか、私たちの愛する日本も、地震にあったり大災難にあった時に、人々がすがりに行く先は、創造主である神のもとではなく、近くの神社、仏閣にお参りに行って祈っている姿を見るように、北イスラエルの民、神に選ばれた民が、その目標と与えられている責任を見失っている姿を見ます。


 ですから、4章の12節に、審判の結果は、「イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。」と神の御座での裁きを覚悟しなさいと言っているのだと思うのです。私たちも誰もが、やがて神の御座に立って裁きを受けることは、決まっております。その時に、主イエスを信じる私たちは、御子が弁護士となって、私たちを助けてくださることが、私たちに心の平安を与えてくれます。


祈り

どうか、私も罪を犯しても悔い改めて、主のもとにひざまづいて赦しをこうことを忘れずに、万軍の神、主を常に讃えることを忘れないように導き下さい。主に会う備えを心掛けますように。アーメン

文:森 宗孝


 
 
 

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