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2026年8月1日 ヨハネの黙示録13章

hccnichigo
8月1日
読了時間: 3分

 ヨハネの黙示録13章には、海から上がって来る獣と、地から上がって来る獣が登場します。海から上がって来た獣は、竜から権威を与えられ、人々はその獣を礼拝しました。


 一方、地から上がって来た獣は、「子羊のように見えたが、竜のように語った」(11節)とあります。子羊のように見えるので、安心できそうに思えます。でも、その本質は人々を惑わし、神さまではなく獣を礼拝させるものでした。


 さらに16節には、すべての者が右の手か額に刻印を受けることが記され、18節では、その刻印に関わる数字として「666」が示されています。

 この箇所を読むと、私は若い頃に見た映画『オーメン』を思い出します。映画では「666」の刻印を持つ子どもが登場します。もしかしたら、この映画の設定は黙示録13章からヒントを得たのかな、と少し思いました。(笑)


 さて、映画はもちろんフィクションですが、そんなことを考えているうちに、今回神さまが私の心に留めてくださったことがありました。それは、見た目だけでは、本当の姿は分からないということです。


 黙示録は、終末の預言や反キリストについて語られている大切な箇所でありテーマでもありますが、今回私はその中でだからこそ知恵をもって見分けなさいと神さまが語りかけてくださっているように感じました。聖書が伝えたいことはホラーではありません。でも、一つ共通点があるなと思いました。

 映画では「無垢な子ども」が用いられ、黙示録では「子羊のように見える獣」が登場します。どちらも、一見すると無害で安心できそうに見えます。でも、その内側には全く違う本質が隠されていました。


 悪は、最初から恐ろしい姿で近づいて来るとは限りません。正しそうに見えたり、魅力的に見えたり、多くの人が支持していたりしながら、人を神さまから遠ざけていくことがあります。


 だからヨハネは、「ここに知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい」と語ります。私は、この数えなさいという言葉は、よく見なさい、見分けなさい、見極めなさい、と語っているようだと思いました。さらに、それは人間を表す数字であるとあります。どれほど大きな力を持ち、世界中が従っているように見えても、それは神さまではないということです。


 私たちは、人や権力、この世の価値観を礼拝するのではなく、本当に礼拝すべきお方が誰なのかを見分ける知恵が必要なのだと思います。


 私たちが礼拝するのは、獣ではありません。黙示録5章に登場する、ほふられた小羊、イエス・キリストです。今日も、この世の価値観や見た目に惑わされることなく、小羊なるイエス・キリストだけを礼拝しながら歩んでいきたいと思います。


愛する天のお父様

 どうか、見た目や雰囲気、この世の価値観に惑わされることなく、御言葉によって本当に従うべきお方を見分ける知恵を与えてください。どれほど魅力的に見えるものがあっても、私たちの目を小羊なるイエス・キリストから離させないでください。

 主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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