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2026年8月18日 ホセア書8章

hccnichigo
8月18日
読了時間: 2分

『サマリアの子牛』


 北王国のイスラエルは、南王国にあるエルサレム神殿を礼拝することを辞めさせようと、南王国との国境近くのベテルに礼拝するか、わざわざ南に行かなくても、一番北王国イスラエルの北方に位置するダンにも祭壇を作って、金の子牛を礼拝するように、政治的な判断で決めてしまったのです。これは、神が指定した聖地エルサレムを無視する行為、神に背いて、偶像を礼拝することであったのです。


 北王国は、次々に王を立てましたが、主なる神によって選ばれたのではない、首長を立てたが、わたしは知らないと、神から離れて行くエルライムを嘆いておられます。そして、このような偶像、サマリアの子牛は粉々に砕かれると宣言されています。イスラエルは自分の造り主を忘れて、偶像礼拝につながる神殿をいくつも建てた、しかし、その町々に焼き尽くすと預言されて、じつに北王国は、残酷な征服者、アッシリア帝国によって滅亡してしまう運命にありました。


 しかし、私たちの主は聖なる民であるユダヤ人を抹殺しようとされて罰を下しているのではないことも覚えましょう。神のムチは、父なる神との関係を回復するために与えられる愛のムチであります。ですから、北王国の10部族は、アッシリア帝国によって国は滅亡したものの、決してすべてが根絶やしになったのではないのです。捕囚地で生き残った部族や、南王国ユダに逃げ込んだ部族もいたので、やがてかれらもイスラエル民族の12部族と残って行くのでした。


 しかし、神は聖なる、正義の神ですから、罪である偶像礼拝、背きは裁かなければ聖なる神とは言えません。この世を見回してみると、神の聖に見合う者が誰もいないわけで、そうしますと聖なる神の前には誰一人、裁きを逃れる者はいないのです。そこで、神は、主イエスを神の知恵として、この世に送られたのです。神は全ての人間を愛しており、その一人ひとりにそれぞれの個性を与え、賜物も下さって大事にしたいのですが、私たちの罪をおおめに見て赦す方ではありません。ですから、罪のない神の子羊として、主イエスを送り込んで、イエスにすべての罪のつぐないをさせたのです。ああ、なんという神の知恵でありましょう。 北王国の偶像礼拝から、なぜか主イエスの贖いの十字架に結びついてしまいました。


祈り

自分も、神から背いて、自分自身を頼りとし、仕事やこの世の幸せを求める偶像礼拝者でありました、そして主イエスのみことばと出会って変えられたことに感謝しております。神は北王国イスラエルの偶像礼拝者をも、愛されていたのです。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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