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2026年6月30日 ヨハネの手紙第一1章

  • hccnichigo
  • 6月30日
  • 読了時間: 3分

『神は光』


 この世において、良きNewsであるはずの福音伝道が難しいのは、福音に向かう時に、じつは自分自身が、今まで知らず知らずに、闇の中に生きていることを自覚することに恐怖を覚えるから反発するのかもしれません。今まで全く自覚していなかった、自分の罪が聖なる主に向き合った時に見えてくるものなのです。私の今までの人生の中で、創造主である神抜きの歩みをしていたことに気づくのではないでしょうか。 


8節「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。


 今の時代は便利な世の中で、時々、自分のスマホに、数年前に撮った写真が思い出のピクチャーとして現れてきたりします。そうだ、あの時に、あの場所に居て子供達と一緒に撮った写真だったなどと思い出すのです。人間が造ったスマホでさえ、過去の自分を簡単に映し出すわけですから、人を造った神に、楽しい思い出だけでなく、自分の暗闇にいた、罪の姿を見せられたなら、思わず目を背けるかもしれません。神は光で、光の中におられます。闇の中にいた私たちは、モグラが日の光から目をそらすように、神の光を見ることに抵抗があるのです。しかし、神の光に当たって身体が温められ、平安を与えられた時に、今までの生き方、歩みを振り返って、自分が闇の中を歩んでいたことが分かるのです。


 10節「もし罪をおかしたことがないと言うなら..... (創造主である神が、あの時、この時にあなたはこのような罪を犯して人を傷つけた、その結果としてこの人はこのような心の傷を受けたと示される)そうでないと反論するなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。」私たちは光に照らされて、光の中を歩むことが求められています。聖なる者となれ、わたしが聖だからと言われるのです。しかし、私たちの身体は、まだ闇の世界で生きていますので、間違いを起こして罪の身となることもあるのです、その時々に、悔い改めをすることによって、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださることが、Good News 福音の本質なのです。


 主イエスは、伝道する真っ先に、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」マタイ4:17とおっしゃられました。天の御国は、神がおられるところです、そして主イエスを私たちの心に受け入れた時に、そこには天の御国があるのです、そして主イエスが再臨されて地上に来られたときに、私たちが願って、祈っていること、「御国を来らせたまえ」が実現するのですが、今は天の御国は、主イエスの霊、聖霊として私たちの心の中にあって、この世の光となれ、世の腐敗を防ぐ塩となれと、私たちに語り続けてくださっているので、天の御国は近づいていると思うのです。


祈り

神は光であり、愛であり、命であることをヨハネは私たちに、教えてくれていることに感謝致します。どうか私たちは、この光を帯びて、愛をもって、主によって新しい命を分け与えることができますように、福音を伝えることができますように。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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