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2026年5月9日 ペテロの手紙第一5章

hccnichigo
5月9日
読了時間: 2分

 この章を読むと、ペテロの心がそのまま伝わってくるように感じます。

 まず、長老たちへ神の群れを牧しなさい、人を支配するのではなく模範となりなさいと語り、次に、すべての人へ「へりくだりなさい。」「思い煩いは神さまに委ねなさい」と続きます。そして、「目を覚ましていなさい。」「恵みの中に立っていなさい」と励まします。


 こうして見ると、私はペテロのこれまでの歩みを思うと、ペテロはただ教えているのではなく、自分が経験してきたことをどうしても伝えたくて、この5章を書いたのではないかと感じるのです。


 ペテロは恐れの中でイエスさまを「知らない」と三度も言ってしまいました。私も同じ場にいたら、正直同じようにしてしまうと思うのです。大丈夫と言い切れる自信はなく、むしろ怖さに負けてしまう自分の姿が思い浮かびます。


 それでも復活したイエスは、そんなペテロを責めずに、「あなたはわたしを愛しますか?」と問いかけてくださいました。


 この出来事を通して、ペテロはきっと、弱さがあっても、失敗しても、それでも見捨てられないということを知ったのだと思います。だからこそ、「へりくだりなさい」も、「思い煩いを委ねなさい」も、頑張りなさいというより、大丈夫だから、神さまに任せていいよと言われているように感じるのです。


「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(7)


愛する天のお父さま

 私は強くなくて、あなたから離れてしまいそうになることがあります。それでも見捨てず、何度でも呼びかけてくださることを感謝します。今日、思い煩いをあなたに委ねることができますように。

 イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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