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2026年5月4日 哀歌5章

hccnichigo
5月4日
読了時間: 3分

『くびきを負う』


 この嘆きの歌は、南王国ユダがバビロンによって滅ぼされ、バビロン捕囚となった時の嘆きを歌っているのでしょう。2節「私たちのゆずりの地は他個人の手に、私たちの家は異国の民の手に渡りました」と歌っています。5節「私たちはくびきを負って、追い立てられ、疲れ果てても憩いを与えられません」

主なる神は、幾度も幾度も、預言者たちを送って聖なる民の悔い改めを求められました。主が求められていることは何か、申命記10:12~13にはこうあります。「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求められておられることは何か。それは、ただあなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたの幸せのために私が今日あなたに命じる、主の命令と掟を守ることである。」これは直接的にはイスラエルに語られた主のことばですが、同時に、主を信じることになった私たちクリスチャンにも向けられた神の教えでもあるわけです。


 くびきで思い起こすのは、まず重荷を負わせる道具、この頃の農具としてのくびきは、牛やロバを2頭つなげて木製の横木を首にかけて、荷車を引っ張らせたり、鋤を引かせ田を耕す、苦難を受けるイメージがあるわけですが、例えばイザヤ10:27「その日になると、彼の重荷はあなたの肩から、彼のくびきはあなたの首から除かれる。」とあり、北イスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされても、その中の残りの者が、神に立ち帰り、戻ってくるということが示されています。もうひとつ有名なくびきは、イエスのみことばです。マタイ11:29~30「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」この時のくびきのイメージは、イエスがくびきの半分を首にかけてくださり、ほとんどの重荷を担いでくださるので、自分のくびきは軽くなるようなイメージです。


 この5章では、苦難を受けて母国から追い出されたイスラエルが、主のみもとに帰らせてくださいと哀願しているのです、そして私たちは罪ある者となったと自分達の罪を認めている姿でもあります。私たちも、主なるイエスを知る前には、何らかの偶像礼拝、それが経済的な豊かさであったり、家族の幸せであったり、会社や学校での成功であったりしていました。それは主以外を求めていた生き方であったのです。 イスラエルの民も、私たちと同様に、自分たちの描く幸せを、それぞれ求めてしまい、そのために重たいくびきが課せられてしまったのです。そのくびきのために追い立てられ、憩いを与えられなかったのですが、この章では示されていませんが、聖書は私たちの罪を暴くだけでなく、十字架の救いの道につながるように、導いてくれていることに感謝しましょう。救いはあるのです。主イエスによる救いです。


祈り

苦難の中におられる神の子供よ、あなたのくびきには、主イエスが隣にいることを思い出すことができますように、主は、わたしのくびきは負いやすいと言って下さっています。けっして苦悩がなくなるわけではありませんが、主も一緒に背負って下さっていることに感謝できますように。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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