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2026年5月3日 哀歌4章

hccnichigo
5月3日
読了時間: 2分

 あまりにも恐ろしい神の裁きの結果が描写されていて思わず背筋が凍る思いがします。


「乳飲み子の舌は乾いて上あごにへばり付き、幼子たちがパンを求めても、割いてやる者もいない。」4節                                     

「剣で殺される人は、飢えて殺される者たちより幸せであった。その者たちは、畑の実りがないために、痩せ衰えて死んでいった。」9節


「あわれみ深い女たちが、自分の手で自分の子を煮た。娘である私の民が破滅したとき、それが彼女たちの食物となった。」10節


 そして、決して落ちることのないこの町に敵が侵入し、その礎まで焼き尽くしたのは、神がこの町を捨てられたからであると述べられています。なぜ神がそこまでされたのかは13節で示しています。


「これはその預言者たちの罪、祭司たちの咎のためである。彼らは、その町のただ中で、正しい人たちの血を流した。」13節


 しかし作者は22節でバビロン補囚からの解放の預言を述べています。


「娘シオンよ、あなたへの刑罰は果たされた。主はもう、あなたを捕らえ移すことはなさらない。だが、娘エドムよ、主はあなたの咎を罰し、あなたの罪を暴かれる。」22節


 これはどういうことかと言いますと、シオンの娘であるイスラエルの民への刑罰はエルサレムの崩壊で果たされたので、主は彼らをこれ以上苦しめることはされないと約束されたのです。だが、イスラエルが滅びたのを喜んだエドムには主のさばきが巡ってくるということです。これは70年後に与えられる、バビロン捕囚からの解放の予言と言われています。


 哀歌は、文字通りの意味で実に悲しみに満ちた歌です。その悲しみは、それぞれがおかした罪の悲しみです。どんなに小さな罪であろうと神の目からみたら決して許されないことです。イスラエルの民がおかした罪、そして、それに対する神のさばきは、現代の私たちへの教訓に値するものとして受け入れていかなければいけないことが示されました。罪はこの世ではいつも私たちに付きまといます。それに打ち勝つには、どんな時にも神に信頼して、悔い改めていくことが大切なことです。


 愛する御在天の父なる神様。今日のみことばを感謝します。イスラエルのおかした罪を自分のこととして受け止めて、日々悔い改めることができますように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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