top of page

2026年3月7日 ヤコブの手紙4章

hccnichigo
3月7日
読了時間: 2分

 最近の自分の心の状態を考えてみると、特別不幸なわけでもなく、日々の中に感謝もあり、恵みもあり、幸せを感じることもあります。それでも、ふと心が重くなることがあるのです。はっきりした悩みというよりも、終わりの見えない道を歩いているような感覚です。

 この生活はいつまで続くのだろう。私はどこへ向かっているのだろう。先が見えない不安と、見通したいという焦りのような感情がありました。


 そのとき、14節のヤコブの言葉が心に留まりました。


「あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。」(14)


 最初は、「消えてしまう霧です」とはっきり言い切られていることに、少し戸惑いました。


 4章には、「神に従いなさい」「悪魔に立ち向かいなさい」「神に近づきなさい」「手をきよめなさい」「心を清めなさい」「嘆きなさい、悲しみなさい、泣きなさい」など、命令にも聞こえる言葉が続きます。

 その中で、特に心に残ったのが8節の言葉でした。


「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。(8)


 霧のように先が見えないと感じながら、それでも自分で未来を握り、安心を確保しようとしている自分に気づかされました。神さまを信じたいと願いながら、同時に自分の見通しも手放したくない。霧を不安に思いながら、霧を自分の力で晴らそうとしている自分が、「二心の者たち」という言葉に重なりました。ヤコブのことばは、霧の中で立ち尽くしている私に、進む方向を示す言葉なのではないかと思うのです。

 未来を見通しなさい、と言われているのではない。状況を整えてから来なさい、と言われているのでもない。ただ、「神に近づきなさい」と言われている。それなら、今の私のまま、霧の中にいるままで、近づけばよいのだと教えられました。

 そして、続く15節にはこうあります。


「あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。(15)


 「主のみこころであれば」と言いながら、今日を歩んでいきたいと思います。


愛する天のお父さま

 二心で揺れる私を責めるのではなく、「こちらに向きなさい」と静かに招いてくださる主に感謝します。未来が霧の中であっても、主はその霧の中に共にいてくださる。そのことを覚えながら、今日一日を歩みたいと思います。

 主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年10月14日 マタイの福音書27章

マタイの福音書27章の1節の始まりは、祭司長達と民の長老達全てが イエス様を死刑にする相談する場面から始まります。正にイエス様の苦難の道がこれから始まることを暗示していると思います。私達もそう感じることが出来るのではないでしょうか。とうとうイエス様は縛られて、彼らに捕らわれてしまいます。それは銀貨30枚を受け取ったユダの裏切りから始まったのです。ユダは自分がイエス様を罪に定めた事を知り、後悔して銀

 
 
 
2026年10月12日 マタイの福音書25章

『羊とやぎ』  天の御国を主が、またもたとえ話で説明をされている箇所です。最初にでてきます十人の娘たち、五人は油を切らしてしまって、さいごには婚礼の宴、天の御国に入れない。次に良いしもべ、自分に渡されたタレントを増やす、自分の賜物をよく使ったしもべと、地の中に隠して賜物を使わなかった悪いしもべのたとえ話ですが、要点は、どちらも両方とも主を慕う者たちを表していると思うのです。油、つまり聖霊を切らして

 
 
 

コメント


bottom of page