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2026年3月21日 エレミヤ書13章

  • hccnichigo
  • 3月21日
  • 読了時間: 2分

 主はエレミヤに亜麻布の帯をたとえて、ユダとエルサレムへの思いを語られた。


 そして「イスラエルの神、主はこう言われる。酒壺には酒が満たされる」と彼らに告げるように言われる。その時「酒壺に酒が満たされることくらい、分かりきっているではないか」と彼らが答えるなら、主は彼らを滅ぼすとおっしゃった。


 酒は神様の怒りを象徴しているのだそうだ。つまり、神様の怒りが満ちた状態だということだ。これを民が共通認識として持っていたのかどうかは定かではないが、彼らの返答は、神の怒りに気づくどころか、恵みを当たり前として受け取り、気にも留めていないように感じる。主のみことばに耳を傾けている状態でないように思う。


 一方で、主はあらゆる手を尽くして、民をご自分の元へ戻そうされ、与えたくない苦しみを彼らに経験させなくてはいけない状況に、涙して下さっていた。この神様の民への情熱と民の罪に対する無頓着さ、神様への愛の希薄さを感じた。結局、エルサレムは崩壊し、民はバビロンに囚われていくことになる。


 私たちはイエス様の贖いによって、罪から解放されている。それでも、罪が容認されているわけではなく、主は私たちとの関係を求めて下さっている。この亜麻布の帯のようにしっかりと主につながり、生きて欲しいと願って下さっている。主のみ声に耳を傾け、聞くことを望んでくださっている。


 神様のみ声を聞くこと、聞き続けていくことは私には簡単ではない。神様のみ声なのか、それとも自分の心から出ているものなのか、はたまた人の期待なのか分からないことが結構ある。でも、神様のみ声を求めて、その思いのまま会話していくことが神様との関係なのだから、このまま続けるしかない。ただ、よく聞こえないまま、求め続けることが難しいというのが正直なところだ。それだからと言ってそのまま放っておいたら、この民のように、気づかない間に神様から離れ、そのことにも気づかずにいるようになってしまうだろう。諦めずに神様を求め続けていきたいと思わされた。


天のお父様、今日のみことばをありがとうございます。一方通行に思える祈りの時でも、神様の御心を求め、聞き続ける忍耐が与えられますように。神様は今も激しい情熱を持って私たちとの関係を求めてくださっていることを示してくださいました。神様との時間が、神様の愛を十分に味わい、最もリラックスした喜びの時間となっていきますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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