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2026年2月4日 イザヤ書56章

  • hccnichigo
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

 7節「わたしの聖なる山に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のささげ物やいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。なぜなら私の家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。」


 この御言葉は、イエスによる「宮清め」と呼ばれる行為に引用されています。


ルカの福音書19章45,46節 「それからイエスは宮に入って、商売人たちを追い出し始め、彼らに言われた。『わたしの家は祈りの家でなければならない。』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にした。」


 民は神殿(宮)に出向いて、犠牲を捧げていました。遠方から来る巡礼者は、犠牲の動物を持ってくることが困難なので、神殿の中で売っている動物を購入していました。またお金を捧げるときにはローマの通貨は受け付けないので、献金用の通貨に両替する必要もありました。それ自体は悪いことではありません。むしろ親切です。

 問題は、ある人々が利益分を上乗せして、そこで商売を行っていたという点にあります。

 ここで私たちが学ぶこと。教会の維持、運営は、ほぼ100%献金で成り立っています。しかし教会が物を売ったり、場所を貸したり、献金を投資に運用したり、献金以外から収入を得る場合には、よくよく注意が必要です。それらはこの世の経済システムに影響されることになり、教会の主に拠り頼む信仰より、目に見える計算に支配される恐れがあるからです。

 また、教会はあくまでもNPOです。非営利団体だからこそ税金の優遇も受けているわけです。教会が営利目的に走ってしまうなら、それは堕落したと言うことになるでしょう。


 さらに、イエスの「宮清め」は、「あらゆる民の祈りの家」という預言にかかわっています。当時商売人がいたのは、神殿の中の「異邦人の庭」と呼ばれる場所でした。そこはユダヤ人以外の異邦人も入れる場所だったのです。つまり天地を造られた神への礼拝は、ユダヤ人に限ったことではなく、異邦人にも開かれていました。そこを商売人が占領してしまい、ユダヤ人以外の民族が礼拝する場所を閉ざしているという状況にあったのです。

 イエスの「宮清め」は、本来神が意図された「あらゆる民」への救いの道を再開することを示しています。

 ここで私たちが学ぶこと。教会は、あらゆる人々が来る場です。教会には、未信者の方々が来ることのできる場が確保されていなければならない、ということです。そこはイエスの福音が語られる場です。未信者の方がイエスの福音を聞くことができない、何だかの事柄がそこにあるなら、そこには「宮清め」が必要です。余計なものを取り去って、あらゆる人々がそこでイエスの福音を聞く機会を確保することが大切なことです。


 天の父なる神さま

 教会が、強盗の巣にならないで、常に清さを保っていることができますように。またあらゆる人々がイエスの福音を聞くことができるように、それを妨げる一切のものを取り去ることができますように。私たちの教会を清めてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
 
 

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