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2026年2月2日 イザヤ書54章

  • hccnichigo
  • 2月2日
  • 読了時間: 3分

『真実の愛』


 神の聖なる民であるイスラエルは、神が選ばれた民で、たった一人の義とされたアブラハムの子孫として、エジプトの奴隷を経験しながらも、エジプトの地で外敵から守られて200万人以上の民となって増えていった。神の救いの方法は、人が求める方法とは異なっている。 たとえば、険しい山を登るために、人はゴンドラを設置して、いかに楽に登れるかを求めるが、神は私たちに重い荷を担がせて、一歩一歩険しい道を、汗をたらして登らせ、一休みして周りを見渡すと、雲海が広がり、朝日が昇ってくる美しさを見せてくださる。 


 そして、神はイスラエルを愛し、自分の妻のように語りかけている。5節ではっきりとイスラエルの民に語りかけている「なぜなら、あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主はイスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれているからだ。」神とイスラエルの民が夫婦と言われる理由がここにある、そして神の御子、主イエスの花嫁は、私たち信じる者たちの教会であると聖書は語っている。


 イスラエル、もしくはエルサレムは、父なる神を信じ通す子供を産まない女と例えられているが、それでも喜び歌え、喜び叫べと言うのだ、どうしてか。それはあなたの恥を見ないから、永遠の真実の愛をもって、あなたをあわれむ。あなたを贖う。10節「たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。ーあなたをあわれむ方、主は言われる」これはイザヤが自分の時代のユダヤ人ではなく、バビロン捕囚で国を亡くし、エルサレムを離れてしまった民、希望を失ってしまっている将来のユダヤ人のために、語っている、主の慰めのことばなのです。希望を失うな、あなたを愛しておられる、贖いの主は、あなたとの愛の契約をわすれてはいないと宣言しています。


 このユダヤの民、主の妻たる民は、11節「苦しめられ、嵐にもてあそばれ、慰められなかった女よ。」と呼びかけられて、あなたをサファイアで飾り、あなたの子たちはみな、主によって教えられ、豊かな平安がある。と約束されているのです。


 神とイスラエルは夫婦であり、御子イエスの妻は、信じる者の教会ですから、私たちも、万軍の主に愛されており、私たちが嵐にもてあそばれ、苦られても、主の真実の愛は私たちから離れることはないのです。主の愛の契約は動くことはありません。


祈り

主は贖いの主であることに感謝致します。主イエスは、あたかも花婿で、私たちを花嫁として迎えてくださり、婚礼の席に多くの主を信じる者を迎えてくださることに感謝致します。どうか私たちはあなたの天幕の場所、教会をしっかりと強固にすることを忘れず、みことばを伝えてゆく者となりますようにアーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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