top of page

2026年1月31日 イザヤ書52章

  • hccnichigo
  • 3 日前
  • 読了時間: 3分

 エルサレムに復興の希望を知らせるべく、目覚めよ、目覚めよと始まる。まるで長い冬を越え、春のおとずれを告げるようだ。


 イスラエルの民は長いこと神様に背きつづけたために、バビロン捕囚という状態に置かれ、神の民としての本来の姿を生きることができずにいた。彼らは知恵を尽くし、自分の能力を最大限に使って自分たちを救おうとしたが、できなかった。


 民は苦しみの中で砕かれただろうが、何度も同じ間違いを犯す存在だ。民の本質が変えられたわけではない。でもそんな民を神様は、ご自身の栄光のために買い戻して下さると仰る。「主があなたがたの前を進み、イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。」神様がご自身が民の前後を守り、解放、回復へと導びくと仰って下さる。


 神様は主の器を運ぶ者、レビ人や祭司職の者に、身を清めよと仰る。礼拝の準備をしなさいと仰っているのだ。これは、礼拝を再開することが神様の望みであるからだろう。礼拝は神様と私たちの関係である、と以前礼拝で学んだ。神様は私たちとの関係回復を何よりも望んで下さるのだ。


 52章はイエス様の贖いとも重なる箇所だ。私たちも神様に背き、自分の罪の中で負う必要のないくびきを負い、暗闇を歩む者だった。やっていることはイスラエルの民と変わらない。その自分で自分を救えずにいる私たちのところに、まさに主、自らが罪の贖いとなるべく下って来て下さった。主を信じる者が、誰一人こぼれ落ちることがないよう、前から後ろから私たちを包んで下さっている。それは私たちが主こそ神と知り、主を礼拝して歩むためだ。


愛する天のお父様、今日のみことばを感謝いたします。神様に何度も背を向けてしまい、世の力、自分の力に頼ってしまう民を見て、とても人事とは思えません。イスラエルの民の弱さを私も持っていることを思わされます。それでも、神様は神様故に見捨てることなく、また関係回復に導いて下さいます。何度転んでも、新しい力を与え、何度も立ち上がらせ、神様を求める者にして下さいます。そのような深い愛を感謝いたします。イエス様のいのちに代えてまで、私との関係を求めて下さってありがとうございます。目覚めよ、目覚めよ。イエス様の十字架の贖いの故に、もう罪から解放されて、自由の身となっていることをありがとうございます。それでも私の中にかせとなっている罪や、不要な重荷があるなら気づかせて下さい。それらをかなぐり捨て、新しい一歩を踏み出すことができますように。そして、神様の求めて下さる礼拝を、捧げることができる者となりますように助けて下さい。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年2月3日 イザヤ書55章

『恵みの契約』  この章は、一見、不思議な対比で始まっています。1節には、金を払わずに穀物を、代価を払わないでぶどう酒をと、全くただで飲み食いさせてあげると言うのです。それはすでにキリストが代価を支払われたから、お代は要りませんよということだと思います。しかしそれに対して2節は、食料にもならない、腹を満たすこともできない偶像礼拝を非難しています。腹の足しにもならない、偶像を礼拝して何をしているのか

 
 
 
2026年2月2日 イザヤ書54章

『真実の愛』  神の聖なる民であるイスラエルは、神が選ばれた民で、たった一人の義とされたアブラハムの子孫として、エジプトの奴隷を経験しながらも、エジプトの地で外敵から守られて200万人以上の民となって増えていった。神の救いの方法は、人が求める方法とは異なっている。 たとえば、険しい山を登るために、人はゴンドラを設置して、いかに楽に登れるかを求めるが、神は私たちに重い荷を担がせて、一歩一歩険しい道を

 
 
 
2026年2月1日 イザヤ書53章

イザヤ書53章は「十字架の予言」と言われ、また、聖書の中で一番大事なところであるとも言われています。イエスの福音が書かれています。またある解釈者は、苦難の中にいる人が読むべきところであると語っています。  旧約に予言したことが新約に実現したことを誰が信じることができたでしょうか。これこそ、神の御子が苦難を受けることによって全人類の贖いをなされるという、驚くべき神のご計画を、予告したものだったのです

 
 
 

コメント


bottom of page