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2026年1月9日 イザヤ書30章

hccnichigo
1月9日
読了時間: 2分

 30章の1節で神の思いが既に語られている。


『「わざわいだ、頑なな子ら。──主のことば──彼らははかりごとをめぐらすが、わたしによらず、同盟を結ぶが、わたしの霊によらず、罪に罪を増し加えるばかりだ。』(イザヤ書30:1 SKY17)


 時代背景として、イスラエルは 北イスラエル王国、と南ユダ王国に分断されていた。紀元前8世紀頃である。近い将来、北イスラエルはアッシリアに捕囚されてゆく。そして南ユダは、バビロニアに捕囚されていく。といってもこの頃ハッキリとした国境があったとは思えない。イスラエル全体を愛している神様にとって分断されていることを悲しまれたことであろう。敷いては今も分断のある国々を悲しまれていると思う。もっと身近なことでは、政治的分断や教会の分断、夫婦間での分断など、神様は悲しまれていることであろう。


 南ユダの預言者イザヤを通して、北イスラエルの将来を憂いている。神様が、一番悲しいのは「私の霊によらず」であろう。


 この章では北イスラエルへのアッシリアの脅威に対しエジプトと同盟を結ぼうとしている。人間的な策略ではなく、神様の霊に頼らないことに対し、指導者たちを叱咤している。


 そして15節では「立ち返り、静かに信頼すれば力を得る」と、救いの希望が書かれている。


『イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたはこれを望まなかった。』(イザヤ書30:15 SKY17)


祈り:

愛する天の父なる神様、

私たち人間は、「頑な」です。誘惑と言う名の捕囚の際、そして何かただならぬことが自分の身に起ころうとしている時こそあなたにより頼もう。自分で何とかするのではなく、心を鎮めてあなたに信頼を置き、あなたの霊に頼るものとなれるよう日々導いてください。今日の御言葉も感謝します。イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン

文:マッカーター政子

 
 
 

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