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2026年1月10日 イザヤ書31章

  • hccnichigo
  • 1月10日
  • 読了時間: 2分

 31章は、国の危機の中で神さまを信じていながら、実際の拠り所としては人の力を先に求めてしまったイスラエルに向けて語られた章です。

 ここで問われているのは、信仰があるかないかではなく、誰を最初に頼るのか、どこに最初の拠り所を置くのかという、その向きのことだと思います。


「ああ、助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬に頼り、数が多いといって戦車に、非常に強いといって騎兵に拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。」(1節)


 イスラエルは神さまを捨てたのではありませんでした。ただ、危機のただ中で、神さまを「最初に」求めなかったのです。このみことばは、私自身とも重なります。


 御翼のかげに守られてきたはずなのに、私はときに、主を最後に頼ってしまうことがあります。何か起こると、すぐに自分でどうしたらいいかを考え、動ける道や選択肢を頭の中で並べ始めたりして、祈りはその流れのいちばん後ろに回ってしまうのです。気づけば、人の力を先に頼っている自分がいることがあります。


 神さまは、その順番のずれを、感情的に責めるのではなく、静かに指摘されます。


「エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も肉であって霊ではない。」(3節)

 問題は、人を、神さまの位置に置いてしまうことなのです。


 それでも主は、私たちを突き放すわけでもなく、まず行動を正せと言われるのでもなく、ただ立ち返る場所を示されています。


「帰れ、イスラエルの子らよ。あなたがたが反抗を強めているその方のもとに。」(6節)


 神さまが求めておられるのは、行動のやり直しよりも、もう一度神さまの御前に立ち返ることです。 先に考え、先に動き、最後に祈る順番から、祈り、仰ぎ、そして動くという順番へと、神さまが引き戻してくださっています。


「万軍の主は、舞い飛ぶ鳥のようにエルサレムを守る。これを守って救い出し、これを助けて解放する。」(5節)


 私は今も、先に動いてしまう者です。それでも神さまの守りが約束されていることを思うと、ただ感謝するほかありません。


愛する天のお父さま

 動く前にあなたを仰ぐ心を、決める前にあなたに立ち返る心を、あなたの恵みによって整えてください。今日も、御翼の下に身を置きます。 

 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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