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2026年1月25日 イザヤ書46章

  • hccnichigo
  • 1月25日
  • 読了時間: 2分

 イザヤ書46章で繰り返し告げられている神の御言葉が2箇所あります。一つは「わたしに聞け」ということ。3節と12節で繰り返し告げられています。どういうことかというと、主を信頼せず、イザヤの予言を信じない強情な者に対しての呼び掛けであります。


 主の言葉を聞き、主の御心を知り、主の戒めに従うことだということです。神の愛と忍耐が伝わってきます。私たちも時には強情な者になります。自分が強情な者になってしまって自分をコントロールすることが難しくなる時があります。そのような時にひと呼吸おいて「わたしに聞け」という御言葉にふれられたいと思わされるところです。


 もう一つの主が命じられている御言葉が繰り返されているのは、8節と9節の「思い出し、思い出せ」ということです。

 

「このことを思い出し、勇み立て。背く者たちよ。心に思い返せ。」8節

「遠い大昔のことを思い出せ。私が神である。ほかにはいない。

 わたしのような神はいない。」9節

 

 私たちは、よく「過去を振り向くな」と言われます。なぜなら過去にしがみついて前に進めなくなるからです。しかし、「思い出せ」は、過去の失敗から学び未来に向かって活かしていくことです。ここで言うのは、エジプト時代の過去を学び人々に希望を与え、神さまの約束を思い出させるために必要なことでした。苦しみの中にいて、希望を見出すことができないときに、神さまは、これまでのことを思い起こすことの大切さを告げられておられるのです。

 

「あなたがたが年をとっても、私は同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う、わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。」4節


 愛する天の父よ。

過去の辛い、希望のない日々からわたくしたちを救ってくださってありがとうございます。あなたは、わたくしたちが白髪になっても背負い、運び、背負って救い出してくださることに感謝します。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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