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2026年1月21日 イザヤ書42章

  • hccnichigo
  • 1月21日
  • 読了時間: 2分

 この章は、ユダの民が、バビロン捕囚から解放され、神の都エルサレムに帰還する喜びを描いています。その解放は、この先のメシヤの到来の喜び、さらには再臨の喜びにまで重なって行きます。


「傷んだ葦をおることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。」(3)


 1節から4節は、メシヤ預言です。3節の御言葉は、マタイ12章20節に引用されています。

 「傷んだ葦」 草履や屋根など様々な生活用品に用いられます。しかし傷んでしまったら役に立ちません。不良品として折って処分してしまいます。

 私たちも現代を生きる「傷んだ葦」です。傷つき、倒れることがあります。社会から価値がないように扱われることもあります。

 しかしイエスは、傷んだ葦を折ることをしないのです。逆に、その傷みを癒してくださり、もう一度立ち上がらせてくださるのです。


「くすぶる灯芯」 くすぶる煙は有害です。すぐに完全に消さないと一酸化中毒になって危険です。私たちもまた「くすぶって」生きることがあります。自分だけならまだしも、周囲のものを巻き込んで害を与えてしまうようなこともあります。完全に消してしまう、それはその人の存在を完全否定して、社会から見えない所に置いてしまった方がいいとされるような存在。それがくすぶる灯芯です。

 しかしイエスは、消さないのです。むしろもう一度油を注いで、火が燃えるようにしてくださるのです。生きる力と希望を与えてくださるのです。


 やがて来られるメシヤ、私たちにとってはすでに来られたメシヤであるイエスは、このようなお方なのです。この恵みによって、私たちは、何度でも立ち上がり、何度でも燃やされるのです。

 

 

  天の父なる神さま

 私たちは、現代を生きる「傷んだ葦、くすぶる灯芯」です。でもイエスさまは、そんな私たちを折らない、消さないお方であることを感謝します。

 そのあなたの恵みのゆえに立ち上がり、聖霊の力をいだいて霊に燃え、主の栄光を現わす者としてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン                                           文:関真士


 
 
 

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