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2026年1月18日 イザヤ書39章

hccnichigo
1月18日
読了時間: 2分

『ヒゼキヤ王の大きなあやまち』


 イザヤ書38章では、ヒゼキヤ王が病気になって死にかかっていた時には必死になって主に祈ったのに、元気になったら主に祈ることすら忘れてしまったのである。そればかりか、三つのおおきなあやまちをしてしまったのである。


  1. ヒゼキヤにはバビロンに拠り頼もうという下心があったことです。バビロンの王

メロダク・バルアダンという王は、アッシリアに反抗していた人物でした。彼が

やってきたということは百万の味方を得たような気持ちが与えられたことだからです。つまり、神以外の者頼るという大きな罪だったのです。


  1. 他国の使者たちに自分の国の武器や財宝を見せびらかしたのです。それは、金庫の鍵をわたすようなものだと言われています。つまり、宝物や武器に拠り頼もうとしたのです。


  1. ヒゼキヤ王は、主に一言の祈りもしませんでした。イザヤにも何の相談もなかったのです。イザヤにとっては驚きの事だったでしょう。


 事の一部始終を知ったイザヤは六節の預言をした。そして、その通りになったのである。


「見よ。あなたの家にある物、あなたの父祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去れる日々が来る。何一つ残されることはないー主は言われる。―」


 自分が危機的立場にある時は、見えない主に必死になって祈りますが、その危機を脱したあとは、救ってくださった主のことを忘れて、目に見えるものに拠り頼んでいくことは、現代の私たちにも当てはまることだと思います。そうならないように、危機を脱しても常に主に祈っていけるようになりたいということが示されました。


 

 ハレルヤ。主の御名をほめたたえます。ヒゼキヤ王の失敗から学ばされる思いで一杯です。苦しい時の神頼みだけに終わらず、苦しい時に救ってくださった後も主だけに拠り頼んでいくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。


 
 
 

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