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2026年10月26日 ハガイ書2章

hccnichigo
11 分前
読了時間: 3分

『強くあれ、わたしがあなたがたとともにいる』


 ユダの民は、バビロン捕囚からエルサレムに戻って来たものの、帰還後16年間は神殿の建設が中断されていた。そこで主が預言者ハガイを通じて、ユダの政治的指導者であるゼルバベルと宗教的指導者である大祭司ヨシュアに、強くあれと語りかけている章です。


 父なる神は、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造られました。そうして共に住みたいと願っておられます、シナイ山の雲の中から声をかけるだけでなく、一緒に住もうとされて、地に降りて来られ、天幕の聖所に臨在されたのですが、罪を負った人は、まず自分達の罪をささげ物によってきよめてからでなければ、聖なる神に近づくことができませんでした。天幕の無いエルサレムでは、神殿の中の至聖所に臨在されるのですが、ユダの民は、バビロンから解放されたにも関わらず、自分達の住居を確保するのに忙しく、主が望んでいる神殿の建設にとりかかろうとしていなかったのです。


 話は変わりますが、ヨーロッパの町々の中心部には、必ずと言って良いほど教会が建っていますね。昔は生活の基盤として、町の中心部に教会があり、主の民であるという自負があったことでしょう。9節の終わりに、「この場所にわたしは平和を与えるー主のことば。」があります、主はユダの民と共に住み、平和と与えたいのです。しかしエルサレム神殿の基、土台は用意されたのに、神殿はどうしたのかという主の催促のように自分はこのハガイのことばを受け取りました。


 主が愛されるエルサレムに戻るためには、政治的指導者と宗教的指導者も民衆も一致して、主のために力を出す必要があったのです。そうすれば、主が臨在し、王として治める、主の来臨がここに約束されていると思われます。


 そういえば、バビロン捕囚は70年と特にエレミア書25:11~12に描かれています。これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。そしてこの七十年が終わって、一つの世代がバビロンで亡くなった後に、エルサレムに帰還したわけですが、この七十年はいつからいつまでか聖書学者によって計算が異なります。聖書的に考えると、恐らくエルサレム神殿の破壊が紀元前586年で、第二神殿が紀元前516年に完成なので、この間が七十年となります。 そして、このハガイ書は、神殿完成前の出来事が描かれているのです。


祈り

主は私たちを愛し、罪の身であるにも関わらず、私たちと共に過ごしたいと願っておられることを感謝致します。天幕や神殿の代わりに、教会や私たち自身が聖なる宮として、御子イエスの十字架の血潮できよめられ、聖霊が私たちに中に臨在されるようにされたことに改めて感謝致します。アーメン

文:森 宗孝


 
 
 

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