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2026年10月16日 ナホム書1章

hccnichigo
1 日前
読了時間: 4分

「ニネべについての宣告。エルコシュ人ナホムの幻の記録。主はねたんで復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はご自分に逆らう者に復讐し、敵に対して怒る方。主は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。主は、その道がつむじ風と嵐の中にあり、雲は、御足がかき立てるほこりである。主は海を叱って干上がらせ、すべての川を涸らされる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花もしおれる。山々は主の前に揺れ動き、もろもろの丘は溶け去る。地は御前でくつがえる。世界とその中に住むすべてのものも。主の激しい憤りの前に、だれが立てるだろうか。だれが、その燃える怒りに耐えられるだろうか。主の憤りは火のように注がれ、岩々は御前に打ち砕かれる。主はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。しかし、押し流す大水でその場所を滅ぼし尽くし、敵どもを闇に追いやられる。おまえたちは主に対して何を企むのか。主は滅ぼし尽くす方。敵対する者は二度と立ち上がれない。彼らは、絡みついた茨。大酒飲みの酔っ払いのようだ。乾ききった刈り株のように焼き尽くされる。おまえたちの中から、主に対して悪を謀り、よこしまなことを企てる者が出た。主はこう言われる。「彼らが壮健で、数が多くても、それでも、刈り取られて去って行く。わたしはあなたを苦しめたが、もう苦しめない。今、わたしは彼のくびきを砕いてあなたから外し、あなたのかせを打ち砕く。」 主はおまえについて命じられる。「もはや子が宿ることなく、おまえの名は絶える。おまえの神々の宮から、わたしは彫像や鋳像を断ち切る。わたしはおまえのは墓を造る。おまえが取るに足りない者となったからだ。」 見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。ユダよ、あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者たちは、もう二度とあなたの間を通り過ぎることがない。彼らはみな、絶ち滅ぼされた。」


 ニネベは、アッシリア帝国の首都です。そこは以前、預言者ヨナを通して滅びの宣告を受けた所でした。しかしその時は民が悔い改めたため、滅ばされませんでした。しかしそれから約150年後、再び悪に戻ったニネべに対して主のさばきが確定したと伝えたのがナホムです。ヨナは憎きアッシリアの民など滅ぼされればよいと思っていたようですが、ナホムは彼らへのさばきを知り、心を痛めました。日本語の聖書では、ナホム書1章の始まりは「ニネべについての宣告」と書かれていますが、英語訳ですと「The burden of Nineveh」(ニネべの重荷)と書かれており、ナホムは彼らのさばきを、痛ましい重荷、として受け止めていました。


 聖書に描かれる様々な人たちへのさばきについて読むとき、心のどこかで「彼らは罪を犯したのだから」という感覚で、受け止めている自分がいます。だから、滅んでいく人たちに対して、「仕方がない」といった考えになったりもします。しかしこれは良くないことです。仏教から来る「因果応報」「自業自得「」といった精神が、未だ私の中に巣食っていることが原因なのだと思います。確かに彼らに下るさばきとは、自分たちが犯したことが自分たちに帰って来ている、と思えなくもないです。しかし実は全く違うのです。因果応報、自業自得というのは、壁に打ったボールが同じ速度で自分に帰って来るようなものです。しかし主のさばきとは、悔い改めるなら、どんなに強く打ったボールだろうと主が受け止めてくださり、私たちに向かって同じ速度で打ち返されることはないのです。


 この章には主がどういうお方であるかを教えてくれています。「主はねたんで復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はご自分に逆らう者に復讐し、敵に対して怒る方。」 しかし、「主は怒るのに遅く、力強い方。」です(2)。主の激しい憤りの前に何人も立つことは出来ません。主は、聖であるがゆえに、悪を見過ごされることは決してありません。しかし、「主はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださるお方」(7)なのです。なんという恵みでしょうか。


祈り:愛する天のお父さま。主よ、あなたは私の砦です。私は罪深く、何度あなたに刃を投げつけていることでしょうか。それでもあなたは私を罰せず、悔い改めるまで、忍耐強く待っていてくださいます。みこころに従えない私に、あなたは歩調を合わせながら共に歩んで下さり、少しづつ、心を柔らかくしてくださいますから、ありがとうございます。みこころにかなう者へと変えていただける恵みに、深く、深く、感謝いたします。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。                                       

 文:アイゾン直子


 
 
 

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