2025年8月27日 詩篇第114篇
- hccnichigo
- 4 日前
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この短い詩篇の中で、詩人はイスラエルのこれまでの歩みを振り返っています。特に、出エジプト、紅海渡渉、ヨルダン川渡渉、荒野の奇跡など、そこに現わされた神の力ある業を想起し、主を褒めたたえているのです。
詩篇103篇2節「主が良くしてくださったことを、何一つ忘れるな」とあります。イスラエルの民は、詩篇を繰り返し歌うことで、主の良くしてくださったことを忘れないように語り継いで来たのです。
私たちが主を賛美するとき、その賛美の歌詞は数えきれないほどありますが、その賛美を通して、私たちは主の御業を思い起こすのです。
同時に、詩篇はあくまでも「詩」なのです。山々や丘が跳ねたりするような、実際には起こり得ないことを詩として表現しているのです。「詩」とは、通常の表現では表現し切れない時に使う表現方法です。山々や丘が跳ねるというのは、神の御業に対する喜びを表現しているのです。
「神は 岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を 水の溢れる泉に」(8)この詩は、イスラエルの民が40年間荒野を旅したとき、神が岩から水を溢れさせてくださったという御業のことを歌っています。
同時に今の私たちにとっては、私の岩のような硬い心もヨハネ7章38節に記されているような「生ける水の川」が溢れるような潤う沢に変えられるという信仰に導く歌となります。
私たちは詩篇を味わないながら、主を賛美するごとに、主の良くしてくださったことを思い起こし、さらに賛美を捧げる者でありたいと思います。それが生ける水の川が溢れ流れるということなのです。
天の父なる神さま
私たちは、あなたを賛美するたびに、主の良くしてくださったことを思い起こします。そしてさらにあなたを賛美します。
私たちの岩のように硬い心を砕いてください。主の御心を感謝して受け取り、喜んで主に従う心を与えてください。そして生ける水の川が溢れ流れる者たちとしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士
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