top of page

2025年8月22日 詩篇第109篇

  • hccnichigo
  • 8月22日
  • 読了時間: 2分

 詩篇109篇は、35篇、69篇などと一緒に「呪いの詩篇」と呼ばれる詩篇だそうです。私たちが最高の存在であられる主の前で祈るとき、神への不平不満、隣びとに対する憎しみや怒りをぶちまけるような時、それでいいんだろうかと思ったりします。しかしこの詩篇を読むと、「いや、それでいいんだよ。」と主が語っていてくださるみたいです。


 この詩篇のはじめに、詩人は自分が「彼ら」に示した善や愛が、悪と憎しみとなって返ってきている状況の中で、まさに恩を仇で返されるような事態を嘆き神に訴えています。


 そして6~20節はそれに対して仕返しをするような呪いのリストです。即ち、だから主よ彼らに裁きと刑罰を与えてくださいと、毒づいた口で訴えます。私自身まだ不信仰でクリスチャンでもない頃でも、自分を傷つけようとするもの、自分に怒りを起こさせるような相手に対して、「神様、あいつにバチを与えてください。」と祈ったものですが、それと似ています。


 最終的に詩人が語っているのは、私たちの隣人に、呪われ、つらい状況に追いやられ、傷つけられ仕返しのできないような状況に追いやられるような時があるかもしれない。しかし、そのような時は、私たちの傷ついた思いを、素直に神に祈って知ってもらうとよい。感じるままをそのまま正直な気持ちを、必ずしも清い祈りではないかもしれないけれど、飾ることなく自分のことばで祈るとき、私たちの無限に寛大な愛に満ちた神は、それを忍耐強く聞いて、理解して、苦悩を取り去って、私たちの心に平安を与え祝福してくださるのです。

「彼らは呪いましょう。しかし、あなたは祝福してくださいます。」(28節)。


 自分の気持ちをごまかし続けても、解決はありません。善人ぶってても、その裏表のギャップの厳しさに苦悩するだけです。だから、どんな時でもどんなことでも正直に神に打ち明けて祈ることを勧めているのだと思います。「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:16)


 憐み深い天のお父さま、あなたはなんと寛大で忍耐強いお方でしょう。私たちが悩む時、その思いを、正直に飾ることのない自分の言葉であなたの御前に差し出せば、それを喜んで受け入れてくださり、私たちに心の癒しを与えてくださることをこの詩篇から学びます。私たちにもそのような祈りをも許していてくださっていることを感謝します。


God Is Good All the Time. アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月1日 テモテへの手紙第一1章

『罪人のかしら』    若きパウロの熱情は、律法に燃え、クリスチャンは神を冒涜する者として徹底的に、彼らを迫害する者であったことを思い、自分は、本当の神であるキリストを、知らず知らずに迫害してしまった、私は罪人のかしらであったと告白しています。そして今はキリスト・イエスによって使徒となった。使徒は、弟子とは異なり、主イエスから権威を受け選ばれた者、弟子は主を先生として学ぶ者で権威はありません。  

 
 
 
2025年11月30日 雅歌8章

「封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押印してください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」6節  強い夫婦の愛が描かれています。これほどの献身さがあると夫婦の愛、結婚愛は壊れないのではないかと思います。同時に私たちも神との霊的な関係がこのように強くあれば決して信仰が揺るがされることはないということにつながっていきます。

 
 
 
2025年11月29日 雅歌第7章

ああ、人を喜ばせる愛よ。あなたはなんと美しく、麗しいことよ。(6)  花婿の花嫁に対する愛は1章から一貫してずっと変わらず、熱烈な愛を語っている。花嫁は最初の頃は、花婿から愛の言葉を受けながらも自分の外見を気にしていたり、自分も花婿への愛を表現していても、自分の都合で花婿を拒んで、その後慌てて探し回ってみたりと、愛に対して受け身で、不安定な印象だった。  そんな花嫁に、それでも花婿は花嫁の愛は、美

 
 
 

コメント


bottom of page