2025年8月12日 詩篇第99篇
- hccnichigo
- 8月12日
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『大いなる主』
私たち日本人が、なかなか聖書の中の神と聖なる民、イスラエル民族との関係を理解しづらい理由の一つは、聖書は契約の書であることです。日本人には契約という概念が薄いのではないでしょうか。
この99篇7節にある「主は雲の柱から語られ、主のさとしと、おきて」とありますのは、モーセが会見の天幕の入り口に、雲の柱が降りてきて、そこから主がモーセに語った時の様子を表しています。その時に主は、わたしと契約を結ぼう(出エジプト34章10節)と言われた、モーセ(シナイ)契約のことです。そうして神の律法である、十戒が与えられたのです。
しかし、律法という掟を与えられただけではなく、申命記30章1〜20節では、モアブ契約、それは、悔い改めの赦し、つまりあなたが我に返り、あなたの神、主に立ち返り、心を尽くし、いのちを尽くし、御声に聞き従うなら、主があなたを憐れみ、あなたが生きるようにされる。という悔い改めの赦しという契約、 イスラエルの民族は律法が与えられましたが、同時に悔い改めによる赦しも与えられた、それは私たちにとっても、主イエスが十戒の代わりにくださった愛の律法と同時に、悔い改めによる赦しという形で、旧約聖書を成就された、新しい契約を私たちに示されたという、契約の中に私たちがいることが、なかなか理解しづらいのです。
8節抜粋「あなたは、彼らには赦しの神」とあるのは、悔い改めれば赦されるという契約に基づいているのです。しかし、同時に「悪しきわざには報復される方」ともあります。問題は何を持って悪しきわざとされるのかという肝心な点ですが、悪しきわざに対して、これが良きわざということを、はっきりと私たちが理解できるようにと父なる神が送ってくださったのが、御子イエスであります。この御子イエスが私たちの行動、生活の元になっているかぎり、私たちは良きわざを行いますが、肉欲やこの世の闇に引っ張られて生きようとしますと、悪しきわざとなってゆきます。しかし、悔い改めれば赦される道も主イエスは示されて下さいました。 ですからそのような主イエスは大いなる主であります。
祈り
主イエスのさとしと戒めを、思い起こして、愛を持って守ることができますように、主イエスの聖霊の力によって、大いなる主のおきてを守ることができますように、御名をほめたたえます。 アーメン
文:森 宗孝

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