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2025年8月11日 詩篇第98篇

  • hccnichigo
  • 8月11日
  • 読了時間: 2分

『新しい歌』


 この詩篇は、主イエスの再臨の時を描いているのではないだろうか。ここでは主は勝利して、地の果て待て、国々に主の救いを見せたとあります。そうして、人間だけではなく、被造物である海とそこに満ちているもの、川も山もこぞって喜び歌えとありますので、まだ今まで完成していない再臨の時の喜びだと思うのです。


 創世記3章17節に、創造主たる神が、被造物である大地を呪ったことが書かれています。「また、人に言われた。『あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。」


 人間が神に反逆したことで、人も呪われて罪による死が定められましたように、被造物である大地も同時に呪われてしまったのです。しかし、この詩篇では、海も川も、この呪いから解放されて喜び歌っているのです。それは主の右の御手である、イエスが再臨をして神の救いを実現されたからです。ここに本当の喜び、エデンの園の回復があるのではないでしょうか。


 聖書が描いているのは、神の国を建てること、つまり神が人と共に住むための国を建てることが底流に流れているのです。しかし、共に住んでいたエデンの園からアダムとイブの罪によって追い出されてしまいました。神は聖なる方なので、罪と一緒に住むことはできませんので、なんとか悔い改めによって、導こうとされるのですが、聖なる民として、すべての人類の祭司となるように選ばれたイスラエル民族も、罪によって、的外れな生き方をしてしまいます。私たちも同様に、原罪を背負っておりますので、どうしても、生まれながらにして傷ついてしまって、聖なるものとはなりえないのです。そこで完全に聖なる神の御子を送られて、主イエスを信じる者は、主の義をかぶる事によって、父なる神の目には義なる者として、認めてくださることができました。しかし、人の住むこの世は、まだまだ闇の世で、罪に溢れていますので、一緒に住むことはできません、やがて主イエスが示された義をもとに、この世が裁かれる日が来ることが決まっています。そして義なる者と反逆する者とが分けられて、義なる者たちだけが、神と共に住む喜び、神の国を建てる手伝いを、新しい歌を歌いながら神を賛美する。


祈り

神と共に住む喜びに満ち溢れることができますように、多くの人が主イエスを知り、共に神の家族となることができますように、聖霊の助けを借りて、私たちを導き下さい。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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