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2025年5月26日 詩篇第21篇

  • hccnichigo
  • 5月26日
  • 読了時間: 2分

『あなたの現れのとき』


 ダビデはここで、自分自身が王として仕える治世を守って下さっている主に感謝する、王の歌であると同時に、自分のことではなく、5節a「彼の栄光は大いなるものとなり」と彼の栄光、つまり第三者としての彼、主イエスのことも預言的に語っていると思うのです。


 その彼は、御救いによって、彼の栄光は大いなるものとなるのですから、主イエスの初臨について、預言的に語っているのですが、同時に9節「あなたの現れのとき あなたは彼らを燃える炉のようにされます。主は御怒りによって彼らを呑み尽くし 火は彼らを食い尽くします。」これは、ダビデが主の力によって、彼の敵を滅ぼして下さったことを意味しているのかもしれませんが、むしろ、まだ私たちが見ることのない、主イエスの再臨のとき、地上から悪の子孫を滅ぼしてしまう「主の日」のことを,ここも改めて、預言的に語っているのではないでしょうか。主イエスの初臨と再臨のイメージが同時にダビデに与えられたのではないかと思います。


 ダビデも経験しましたが、私たち自身も、信仰をもったとしても、信仰の生涯は戦いです。けっして信仰のゆえに、すべてが万事うまくゆく、私には悪いことは起こりませんということではありません。しかし、主が良い時でも、苦難の中においても、常におられて見守って下さることが感謝です。


 信仰は戦いと言いましたが、旧約時代には、預言として救い主が来られるというコンセプトと、裁き主が来られるというコンセプトの二つが、ちょうどダビデが描いているように、二つが混ざっていて、それには時間の差はなく、私たちが理解しているのよう、実に救い主である主イエスが地上に2度現れるということまでは、理解していません。ですから、救いと裁き、つまり主の初臨と再臨が混ざって表現されていると思います。


5節b「威厳と威光を あなたは彼の上に置かれます

 まさに主イエスに、父なる神は威厳と威光を与えられました。詩篇はダビデの詩ではありますが、非常に預言的な面もあることに感謝します。


祈り

 私たちもダビデ同様に信仰の戦いに加わった者です、しかしすべてが万事うまく行くという戦いではないことも理解します。負けることもあるでしょう、苦しいことも味わいます、しかし必ず主がおられること、見守ってくださり、失敗しても私たちを愛してくださっていることに、心から感謝致します。アーメン

文: 森 宗孝


 
 
 

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