top of page

2025年4月30日 ピリピ人への手紙3章

  • hccnichigo
  • 4月30日
  • 読了時間: 2分

「うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし」(13)

「ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。」(16)


 獄中にあって自分の死期が近づいているのを感じながら、パウロはいよいよ「復活」への思いを強くします。

 パウロの生涯は、苦難に満ちていました。しかし、それらを乗り越える原動力は、福音宣教の実と復活の希望でした。彼の思いは地上のことに捕らわれず、いつも天のことを考えていました。


 復活の希望の確かさが、私たちの歩みを前向きにさせます。信仰による前傾姿勢です。


「死ぬこと以外は、かすり傷」と言ったお笑い芸人がいました。苦難の中にある人にとって励ましとなる言葉です。しかし、クリスチャンは、死ぬこともまた益であると言えるのです。なぜなら、それは復活への入口だからです。

 

 しかしこの世は、私たちを後ろ向きにさせようとします。過去の出来事に捕らわれて、それが鎖のように足に絡まり前に進むことができません。しかしイエスの福音は、その鎖を断ち切ります。過去のすべてを赦し、癒し、私たちに自由を与えてくださいます。

 私たちの信仰による前傾姿勢は、イエスの十字架の恵みと復活を根拠としています。これがあるから、私たちは前に向かって進んでいけるのです。


 あくまでも天を目指して生きていきましょう。


 天の父なる神さま

 私たちに復活の希望を与えてくださり感謝をいたします。地上の事に縛られないで、天のことを想いながら生きることができますように。私たちが上を向くことができますように、励まし導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年10月22日 箴言12章

1節「 訓戒を愛する人は知識を愛する。 叱責を憎む者は間抜け者。 」  聖書に記された神の言葉は、耳障りの良い、甘い蜜のような言葉だけではなく、「訓戒」、すなわち、戒めの言葉であったり、私たちの生き方を改めるように迫ってくる神の言葉もあることを忘れてはなりません。  神を愛する者は、自分の耳に心地の良い神の言葉も、自分の口には苦くても、私たちを神の義に導くために語られる神の訓戒や知識、あるいは叱責

 
 
 
2025年10月21日 箴言11章

『豚に真珠』  私たち、日本人のよく知っていることわざの中には聖書からのものがかなりあります。「七転び八起き」とダルマさんのように起き上がるこのことわざは、箴言24章16節「正しい人は七度倒れても、また起き上がり、悪しき者はわざわいでつまずくからだ。」ここから来ているのでしょう。そして「豚に真珠」これはこの11章32節「 豚の鼻にある金の輪 」のたとえから来ているのかもしれません。聖書は、初代教会

 
 
 
2025年10月20日 箴言10章

『正しい人と悪しき者』  悪しき者とは、神の戒めと啓示を受け入れない者、自分自身の判断で、自己中心に物事を進める者は、愚かな者となってしまう。いかに学識があって、この世において、尊敬されていようとも、人の価値は、その者が神が示された知恵を如何に受け止めたかによって決まる、確かに神の光を心に見出した者の生涯は、その時には見えないが、歴史のなかでも光輝いている。人生の実験によって初めて知る神の啓示、心

 
 
 

コメント


bottom of page