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2025年2月15日 コリント人への手紙第一12章

  • hccnichigo
  • 2月15日
  • 読了時間: 3分

 12章は賜物について語られている。賜物において、コリントの教会では優劣がつけられていたのだろうか。ねたみや争いがあった教会だったそうなので、そんな働きはいらないとか、あんな働きができないから自分はこの教会の家族になれないなどと感じさせられる状況があったのかもしれない。


 奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。(5-7)


 賜物は才能とは違い、御霊に与えられるものだ。だからすべては個人のものではなく、御霊の働きだ。御霊は一人ひとりそれぞれに、みこころのままに賜物を与えて下さった。私たちが与えられている賜物は神様のみこころがこもっているのだ。すべて神様の御からだを立て上げるのに必要な賜物だ。御霊が私たちのうちで働かれるためにあたえられているものだ。だからどんな働きも尊く、欠けてはいけない大切なものだ。神様はどんな働きも軽んじられることがないようにと願い、それぞれの働きが互いに配慮しあえるようにと望まれている。


 それは神様の栄光が現れるためであると同時に、ここに神様の私たちへの愛を感じる。神の家族として一人としてあぶれることのなく、賜物を与え、神様に仕えるものとして下さっている。一人ひとりが神様にとって大切な存在だよというメッセージを感じる。そして、その大切な存在同士、互いを尊重しあえるようにとして下さっているのだ。


 教会は生まれも育ちも全く違う者たちの集まりだ。年齢幅もあるし、性別も違う。だから考え方もそれぞれだ。そういう者たちが神様の御前に集められ、一つの御からだを立て上げようとしている。コリントの教会で起きたようなことは、油断するとすぐに起きそうだ。行動するのは私たちであるため、つい自分の思いが前に出てきやすく、間違った言動につながりやすい。でも、神様の御心を託されている者同士、御霊の思いに心を沿わせていくときに、おのずと互いを尊重し合えるように神様がすでにデザインしてくださっていると今日教えて下さった。


天のお父様、今日のみことばを感謝いたします。神様は愛をもって私たち一人ひとりに賜物を与えて下さっています。その賜物を大切に扱い、用いることができますように。

そして、教会の家族皆で一つ心となることができますように。それがあなたが望み、喜んで下さる捧げものであることを思わされました。そこにこそ、神様の栄光が現れるのだと思わされました。どうぞ私の心を整え導いて下さい。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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