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2025年1月23日 イザヤ書44章

  • hccnichigo
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

 イザヤ書44章は、バビロン捕囚下にあるイスラエルの民へ、慰めと希望を与えるため、唯一の神への信頼の中に生きることの大切さを教え、また偽りの神即ち人間の手で作った偶像がいかに無力かをも、その作成を具体的に描写することによって、偶像礼拝がいかにむな しいものかを示し、それを厳しく戒めることを教える章です。


 神は、この章の最初にあるように、イスラエルを二つの名前で呼んでいます。一つは「わたしのしもべ「ヤコブ」(1)、これは押しのけるもの、欺くものという意味です。もう一つは「エシュルン」(2)という名前です。それはまっすぐな、高潔な、律法を守る者という意味で、最初の「ヤコブ」に対比すのものです。この二面性は現代の私たちクリスチャンにも当てはまることだと思います。そんなイスラエルでも、彼らを母の胎内にいる時から選び導き、御霊と祝福を注ぐと約束されました。それは彼らが「わたしは主のもの」と確信できるよう励ますためでした。それを知ることによって弱い私たちでも「わたしは主のもの」といえるようになるのではないでしょうか。

 

 では8節で言われている「あなたがたはわたしの証人」とはどういうことなのか考えてみましょう。これは神の民イスラエルが、主が主権者また全能の神であることを、周囲の国々の民に大胆に語り継げ、証しする人々と普通考えられるかもしれませんが、それだけではないと思います。イスラエルの人々を「わたしの証人」と呼ばれたのは、主ご自身がそのご計画の内に、イスラエルの民を用い、その生き方に、神ご自身の唯一の神という主権性、全能性、無限性、そして愛に満ちた寛容なお方であることを周囲の国々の民に実存的に示すためだったのだと思います。それは映画や小説の中の主人公を通して、その監督や著者が、自分の思想や希望を示そうとすることと類似しているかなと思わされます。


 私たち(神に選ばれたもの)のうちにも「押しのける者、欺くもの」というヤコブの面があって、偶像礼拝に誘惑されやすく、更に不信仰に陥るようなことがあるかもしれません。しかし、しばらく時が経ち、偶像礼拝がいかにむなしいものか、それが何の役にも立たないことを悟り、「わたしのほかに神はない。」(6)といわれる神のもとに悔い改めて戻っていくと思います。人々はそこに「あなたはわたしに忘れられることはない」(21)といってくださる唯一の神、全能の神、憐れみ深い、愛に満ちた神を見るのではないでしょうか。そして「エシュルン」の面が周囲の人にも見えるようになると思います。それがここで言われている「あなたがたはわたしの証人」ということではないでしょうか。だから、神は「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。」(2)と言って下さるのだと思います。

 

 愛する天のお父さま、あなたの御名をあがめます。今日のみことばを感謝します。私たちにはヤコブとエシュルンという相反する二つの面があり、弱い私たちは知らないうちに偶像礼拝や不信仰に陥ってしまうことがあります。それでもあなたは「恐れるな。私のしもべ」「わたしに帰れ」と言って、私たちを優しく招き、あなたのもとに戻らせてくださることを感謝します。アーメン

 
 
 

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