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2025年12月26日 イザヤ書16章

  • hccnichigo
  • 2025年12月26日
  • 読了時間: 2分

 神は人間の悪を裁かれるけれども、罪びとが滅びるのを悲しみ、神に立ち返って祝福を得ることを切に望んでおられること、それは聖書全体に示されていることですが、この章でも学びました。「主は、、、、、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」ペテロII を思い起こさせられます。 


 この16章も、先の15章の続きとして、イザヤのモアブに対する宣告です。


 アッシリアの攻撃から逃れようとしているモアブに、神は逃げ道として南ユダに助けを求めるようにと勧告されました。さらに、南ユダに対してもモアブを助けるよう、彼らの隠れ家となるよう呼びかけられました。しかしモアブはそれを無視して南と北に逃亡しました。


 そのような憐れみ深い神の勧告を受け入れようとしないモアブにあるのは「高ぶり/高慢/誇り/おごり/自慢」(5節)だけで、自分の力や知恵に拠ってその事態を逃げ切ることができると確信して、神の恵みを拒んだのです。それで神は、モアブが頼りまた誇りとしているもの「干しぶどうの菓子」や「ぶどうの木」は敵によって取り去り、その結果「喜び歌うこと」「大声で叫ぶこと」も取り去られました。悲しみのあまり、「モアブは、モアブ自身のために泣きわめく」(7節)のみで、悔い改めの涙は流さなかったのです。そのようなモアブの不信仰を見て、神は悲しまれました。「わたしのはらわたは、モアブのために、、、、竪琴のようにわななく」(11節)のでした。


 そして神の忍耐と寛容は、「もうむだだ」という、その際限までやってきて、ついに最後の手段を提唱されました。それは「雇人の任期」と同じように、「三年のうちに、モアブの栄光は、そのおびただしい群衆とともに軽んじられ、残りの者もしばらくすれば、力がなくなる。」(14節)という宣告です。今すぐではなく、三年の後にモアブは滅び失せるということです。これは滅びへのカウントダウンということだけでなく、神のモアブに対する憐れみでもあります。即ち、この三年の内に、神の恵みに気が付き、悔い改め、主の前に戻り救いを求めるチャンスを与えられたのです。


 愛する天のお父さま、今日のみことばを感謝します。モアブのように、私たち失敗だらけの、罪深い人間でも、裁いて滅ぼしてしまおうとは思わないで、私たちが悔い改め、救われてほしいと、憐れみをもって、忍耐強く、切に願っておられることを学びました。最高に感謝なことです。アーメン


 
 
 

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