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2025年12月18日 イザヤ書8章

  • hccnichigo
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分

「まことに、主は強い御手をもって私を捕らえ、この民の道に歩まないよう、私を戒めてこう言われた。『あなたがたは、この民が謀反と呼ぶことを 何一つ謀反と呼ぶな。この民が恐れるものを恐れてはならない。おびえてはならない。主こそ、あなたがたの恐れ。主こそ、あなたがたのおののき。』」8:11~13


 8章11~13節で、主はその御手をもってイザヤをとらえ、滅びの道を歩んでいるイスラエルの民の行く道を行かないように戒めて言われたのである。つまり、イスラエルの民が同盟と呼ぶものに加担してはならない。また、彼らが恐れているものを恐れてはならないと言っています。彼らの恐れているものとは、アッシリヤの王である人です。私たちが唯一恐れるのは人ではなく、主だけです。さらに、主は、19節と20節でも忠告しています。


「霊媒や、ささやき、うめく口寄せに尋ねよ」と言っても、民は自分の神に尋ねるべきではないのか。生きている者のために、死人に尋ねなければならないのか。」


「ただ、みおしえと証しに尋ねなければならない。もし、このことばにしたがって語らないなら、その人に夜明けはない。」


 死人に尋ねるのではなく、神のみことばに聞き従えと命じているのです。


 しかし、神は、厳しいさばきだけを述べられているのではなく、主を恐れて、みことばに聞き従っていくなら、インマニヌエルの神の祝福が与えられると言われています。


 このアドベントに歌いたくなる「インマヌエル」


 聖なる神の霊により生まれた      聖なる神の霊により来られる

 その名は神の子キリスト 救いの君   その名は神の子キリスト 平和の君

 インマヌエル 麗しい御名       メサイヤその名はイエス

 共に住む 聖なる主          いと高き栄光の主

 愛と平和となぐさめに満ちた      愛と力と栄光に満ちた

 神の御子を迎え 賛美を捧げよ     王の王 主を迎え 賛美を捧げよ


 天の父なる神様。私たちが恐れをもって従っていくことのできるおかたは、主なる神だけです。偶像礼拝に惑わされずに、みおしえと証しに尋ねていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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