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2025年11月6日 箴言27章

  • hccnichigo
  • 3 日前
  • 読了時間: 2分

 27章は人と人との間に関わる知恵のことばが書かれています。私たちにとってどの言葉も馴染み深く、心の奥深くしっかりと刻みつけていきたいものです。


9節(抜粋)「友の慰めは自分の考えにまさる。」


 苦しみ、悲しみの人生の危機感に陥ったときに友の慰めほどありがたいものはない。それはまた、自分がその経験をしたときによくわかる。自分が慰めてほしい時に信頼する友からの慰めほど心に温かいぬくもりがつわってくるものであります。その慰めの達人と言えば、やはり、イエス様以外に他はいないでしょう。イエス様に出会えて、十字架の愛を知った時に他者への慰めを知ることができました。多くの言葉はいりません。ただ寄り添ってあげる、ハグするだけでいい、聞いてあげるだけでいい。作者が語っているように、友からの慰めは大変貴重なもので、自分の考えなんてとても値するものではないということです。


10節(抜粋)「近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。」


 別の言い方をすれば、「遠くの親戚よりも近くの他人」のほうが親しみがあるのだと思います。殆どの人がそれぞれの近隣は他人だと思います。私も近隣の人たちはみな他人です。何か助けを必要とするときには、やはりまずはお隣さんだと思います。遠くの親戚に連絡しても到着する距離、時間などを考えたときには隣の他人さんには勝てません。そこから、私たちへの教訓は、隣人との平和を保ち、愛し合っていくことの大切さが語られています。ちなみに、阪神・淡路大震災のときに、煉瓦の中から救い出された人々の九割が近所の人たちによるものだったそうです。近隣の人たちと平和を保つ、仲良くしていることの大切さがここにあります。


17節「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる。」


 私たち人間はみな違う考え方を主からあたえられています。自分を成長させていくには友が必要です。自分の持っている考えを他者に、そして、他者の持っている考えを自分にとお互いが共用することによってそれぞれが成長していきます。でも、お互いがその人格を保ち続けていくには、主に在って常に相手を尊敬し、謙遜な気持ちになっていくことが大事だと思います。


「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」詩篇119:105

 

 天の父なる神様。今日のみことばがいつも私たちの心の糧となって、日々聖霊に満たされた義なる信仰生活へと歩ませてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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