2025年11月16日 伝道者の書6章
- hccnichigo
- 2 日前
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「もし人が百人の子どもを持ち、多くの年月を生き、
彼の年が多くなっても、彼が良き物に満足することなく、
墓にも葬られなかったなら、
私は言う。彼よりも死産の子のようがましだ。」3節
これは、ソロモン自身のことを言っているのではないでしょうか。
栄華を極めたソロモンは、多くの子どもたちに恵まれて、100歳まで生きてきました。そのことに満足しなければ、この世に生をあずかることなく死産で亡くなった子のほうがましだと厳しく語っています。
与えられた何事においてもそれがたとえ小さな事でも、感謝して満足しなければ何にも与えられなかったほうがましだということではないでしょうか。今の私たちは最低限にもある程度の生活が与えられています。そのことにどれだけ満足しているだろうかと思わされるところであります。
中近東の山里離れた奥深い所で生活している家族のドキュメンタリーを見ました。一人の婦人が家族の為に何キロも離れた所に果物を捜しに行きます。平地から険しい岩だらけの山を登って、あきらめずに進みます。すると前方に大きな木を見つけます。その木にはたくさんの果物が枝もたわわにぶら下がっていました。その婦人は、走りながら天を仰いで主に感謝し木の所にたどり着きました。そして、果物を手で摘み取りながら終始笑顔で、主に感謝している姿に涙がでてきました。
私たちにとってそのようなことはかけ離れたことかも知れませんが、彼女に与えられた果物に、彼女が感謝する姿こそ神が喜ばれることだと思います。たくさんの果物を収穫して重いリュックサックをかかえて帰路につきました。洞窟の中で待っていた家族が仲良くその果物を美味しそうにほほばっている姿が感動的でした。これを見た時に、高いお金をだして高価なものを買って食べても、そのことに心からの感謝、満足がなければ人生に空しさがつきまとう道を歩き続けるのではないかということでした。
愛する天の父なる神さま
私たちは、たくさんのいろんな物をあなたから与えられています。たとえそれが多くとも少なくとも絶えず感謝を持ってそれぞれに満足することができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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