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2023年7月21日 へブル人への手紙11章

『信仰とは?』


さて、信仰とは、望んでいる事柄を確認し、まだ見ていない事実を確認することである。」(1節)と信仰の定義がまず示される。そして旧約聖書に登場する信仰者たちの具体例が挙げられていますが、この代表的な信仰者たちは皆、神様の約束を信頼した人々です。「昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された」(2節)。


 でも、神の存在を認めるだけでは信仰全体の半分までしか進んでいません。もう半分は6節の後半に「神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。」と記されています。

 この「神に来る者」とは一体具体的にはどういうことを意味するのでしょうか? 日々の生活の中であらゆる時に主を求め、時間を捧げ、思いと心を捧げ、経済や機会を捧げ、神を熱心に求めることでしょうか?


 神が言われたこと、また神が願っておられることを、そのまま自分の心に受け入れて、なんの疑問も提示せず納得し、確信することです。私たち人間の目には見えない神様は実在するお方として私たちに立ち現れます。ただしこれは信仰を通してのみ可能になることです。信仰とは神様の約束を必ず実現するものとして素直に受け入れることです。


 17節ではアブラハムの人生の最も困難な時期について述べられています。神様はアブラハムに一人息子イサクをいけにえとして捧げるようにお命じになりました。これはとても信じがたいことです。神様はアブラハムに非常に多くの子孫を与えることを以前約束なさっており、この約束はイサクを通してのみ実現できるはずのものだったからです。その一方で、人間には不可能としか思えない状況下でも神様は約束をしっかり守られることをアブラハムはすでに学んでいたのでしょうか?


 私たちは神様の約束に対してアブラハムと同じような姿勢で臨むことができるでしょうか。この約束が人間の考え方に合致した合理的なものかどうか疑問を投げかけたりせず、単純に神様の御意思に従って行動することがはたして私たちにはできるのでしょうか。 神様は御自分を信じる者たちを実に奇妙な道へと導かれることがあります。次のイザヤ書の箇所にもそれが述べられています。


「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」 (イザヤ書55章8~9節、口語訳)

 

天のお父様、信仰がなくては、あなたに喜ばれることはできないことを学びました。今日の御言葉を感謝し、イエスキリスト様の御名によって祈ります。アーメン


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