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2023年5月23日 創世記 6章

「洪水の原因」


 150メートルもあるノアの方舟の実物大が、ケンタッキー州に展示されているそうだ。一度は見学しに行ってみたいとは思うが、でもいったい、どのような理由で神は大洪水を起こされたのだろうか? 


 11節「地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた。」地上に悪が増大し、主が地上に人を造った事を悔やんだほどの悪、暴虐は何であったのだろうか。今の世も悪は満ちているので、このノアの時代は、よほどの事、別の理由だったはずだと思う。


 ここからは想像の世界、映画SCI-FI好き、MARVELの映画の見過ぎと言われるかもしれませんが、エチオピア正教会の聖書には、エノク書という書があって、私達の聖書正典から見れば偽典と言われていますが、その6章に堕天使となってゆくアザゼルに率いられた200人の天使たちが人間の女性たちと関係して巨人を産んだとあるのです。聖書には確かにサタンや堕天使の事が描かれていますが、どのように彼らが創造されたのかについては、はっきりと書かれてはいないのです。創世記でサタンが蛇を使ってエバを誘惑したという事は、エデンの園ができた時にはすでにサタンの存在があったという事になります、その起源は黙示録12章の中で天の戦いが起こってミカエルとその御使たちが竜(サタン)とその使いたちを追い出したとあるのですが。聖書には、どのようにして、いつサタンや天使達の起源は明記されていないのです。


 中川健一郎先生も、2節「神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ自分が選んだ者を妻とした。」この文面の神の子とは誰を指すのかで、諸説あるのですが、自分も中川先生と同様に天使、実際には堕天使と推測するのです。天使と人間の子供は特別な能力を持った、それこそ映画MARVELのヒーロー達のような、超能力の子ども達がこの世に産まれて、神の本来の人間像とかけ離れた者たち、巨人であったりする者たちが地に溢れてしまったと考えてもおかしくないと思うのです。しかし、これは定説ではないので、ぜひ他の解釈もある事を理解ください。


 創造主たる神は、想定外の子ども達が地上で産まれ始めたので、洪水によって滅ぼす事を決められたのではないでしょうか。そして地上のすべてのものは死に絶える事にされました。でも水の中の生物は影響がありません。地上でもノアは主の心にかなっていたとあります。地上のあらゆる所で洪水の跡が残っていると聞いています。


 先日、アースデーがあって地球の環境保護運動が世界各地でありました。残念ながら地球を汚し始めたのは、我々人間自身で、果たして自己中心の我々が地球を救う事ができるのだろうかと思ってしまいます、聖書には、もう2度と大洪水によって断ち切る事は主はなされないとありますが、主イエスは民族が民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こり、それがすべての産みの苦しみの始まりだと話されておられます。

 

 ノアの大洪水のように、世の終わりが近づいていると予感するのは自分だけなのでしょうか? しかし同時に私達、主イエスを信じるものは天に挙げられて永遠の命を頂ける者として完全な救いに預かる事を信じる者には希望が与えられている事に感謝いたします。


祈り


 主の日であるこの世の裁きは近づいていますが、それは同時に主イエスと会う機会近づく希望の日でもあります事を実感出来ますことに感謝致します。どうかこの希望を、主を知らない多くの方々と分かち合う事ができますように  アーメン

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